難民の子どもたちとファンタジー/辻 清石


このプロジェクトを準備し、また具体的に展開していくなかで、いくつかの質問を受けました。
その中で、わたしたち[like Water Press]が目指したものや、活動のコンセプトにとって、とりわけ重要だと思えるものについて、お話ししようと思います。すなわち、次の2つの点についてです。

<1> 難民の子供たちに、なぜ、ファンタジーを語ろう(あるいは見せよう)と考えたか?
<2> なぜ、オリジナルなのか?
   彼らの国や地域に伝わる古い民話や、おとぎ話ではいけなかったか?

具体的この問いかけに答える前に、まず、わたしたちの活動の目標である「難民」について、考えてみたいと思います。「難民である」、とはどういうことなのか、ということです。
とりわけ、「難民の子ども」であるとは、どういうことなのか。
ちなみに、ぼく個人としては、「難民」という表現があまり好きではありません。 「難民」という言い方には、なにか、「難しい人々」「難(キズ)のある人々」という意味合いにもとれる響きがあるからです。つまり、彼らが置かれている状況は、なんら、彼らの責任や落ち度ではないにもかかわらず、「難民」という表現は、あたかもそういう状況を招いた原因が、彼ら自身にあるような印象を与えかねないと思うことがあるからです。
たとえば、現在日本に在住している外国人は、「在日」と呼ばれます。この「在日」という表現には、明らかに、自分の意志で日本にいるという意味合いが込められています。ところが、現在、「在日韓国人」や「在日朝鮮人」と呼ばれている人々の中には、かなりの割合で、自分の意思でこの国にやってきたのではない人がいるのです。戦時中、いわば強制的に日本に連行されてきたまま、終戦後も帰国することができずに、そのまま住み着いた人がほとんどです。そしていま「在日韓国人」とか「在日朝鮮人」として規定されている人々のほとんどは、その2世や3世、あるいは4世なのです。そういう人々を、あたかも自分の意思でここにいるかのような響きをもつ「在日」という言い方で、その存在を曖昧にしてしまう。
同じように、「難しい人々」「難(キズ)のある人々」という意味合いにもとれる「難民」といういい方にも、そういう言葉のまやかしが隠されているような気がするのは、ぼくだけでしょうか。

「難民」は、英語で[refugee]といいます。その言葉の意味は、具体的に、「保護を必要とする人」とか「国を追われた避難者」を意味する人々を指しています。あきらかに「難民」ではあく<避難民>なのです。
つまり、「難民」とは、当人の意志で逃げだしたのであれ、戦争や迫害などで無理矢理追われたのであれ、本来いるべき場所(国)を離れており、さらに、現在いる場所には、一時滞在者(一時滞在の許可)という存在だということ、です。彼らは、自分が生まれたところの、本来いるべき場所、を奪われているのです。そういう意味では、彼らは「奪われている者」なのです。彼らが現在、住んでいる場所は、本来、彼らがいるべきところではなく、あくまで仮の集落や街にすぎません。
たとえば、25年前から現在まで、間断なく戦争が継続しつづけているアフガニスタンのような国では、難民キャンプもきわめて古くから存在し、いまでは、実質的な集落・村・街となっています。それにもかかわらず、名称は、あくまで仮設という意味の「キャンプ」と呼ばれているのです。いずれテントをたためば、消えてなくなってしまう、虚構の場所、というわけです。
つまり、彼らは、そこに間違いなく存在し、存在し続けているにもかかわらず、本来存在していない者、「見えない存在」として扱われつづけているのです。
そして、そういう意味では彼らは、「難民」という呼び方ではなく、「存在否定の存在」と呼ばれるべきです。
このように、「奪われている者」あるいは「存在否定の存在」としての彼らを、「難民」という表現で片付けてしまうことは、あまりにも、無神経ではないでしょうか。

ところで、そいう「難民」の子どもたちは、どうでしょうか。
その子どもたちは、そのほとんどが、難民キャンプで生まれ育ったものたちです。彼らの父母や、あるいは祖父母とは違って、彼らは、逃げてきた、あるいは追い出されてきた場所への記憶もありません。たとえ、幼い頃の記憶があっても、その記憶は、その子どもの存在にしっかりと根を張ったものではないはずです。
つまり、「難民キャンプ」の子どもたちは、「キャンプ、すなわち、虚構の場所」に生まれ、自分たちがいま住んでいる場所でさえあらかじめ奪われていのです。彼らの存在は、もともと、その土地に根付くことが許されない根無し草、ということになのです。
わたしたちは、その子供たちを[あらかじめ奪われた子供たち children having been deprived in advance]と表現しています。
そして、そういう子どもたちの視界に、見えるものは何なのでしょうか……?
無、です。
実際のところ、難民キャンプが設けられているのは、言い換えると、「難民」が「停泊する」ことを許されているのは、どこでも、空漠とした砂漠や荒野なのです。もともと、人の住まない空虚の土地なのです。かなり時間を経て、すっかり集落となり、街のようなたたずまいをみせているキャンプも、おおかた荒野のただ中か、僻地にあるのです。
そのキャンプ(集落)の周囲に見えるのは、荒野、空、砂漠だけ。無、です。
大人なら、もともと住んでいた村の光景や、なつかしい思い出を記憶として持つこともできるでしょう。しかし、子供たちは、そういう記憶(ふるさと)さえ奪われているのです。
だからこそ、彼らの眼差しは、鋭く、貪欲で、真摯なのです。

そういう子どもたちのために、いったい、何ができるか。
ここで、ぼく自身のことを話さなければなりません。ぼくは、いわゆる「在日韓国人」です。とはいっても、強制連行されたのでも、そういう親の2世でもありません。小学校へ入ったばかりの時に、朝鮮戦争が勃発しました。そして、その戦渦から逃亡して、日本へやてきた、いわば、「難民」なのです。したがって、いわゆる戦争の悲惨さを数多く目撃しました。
日本へ避難してきた当初、ぼくは、ひたすら絵を描いていたといいます。それも、目撃した戦渦の悲惨さを、克明に描き続けたのです。いま思い返すと、ぼくは、絵を描くことで、描いた対象と向き合い、無意識のなかで対決したり、対話したりしていあtのではないでしょうか。
そしてあるとき、こんな発見をします。たとえば、赤い色(つまり流された血)を「緑」の絵の具で塗ってみる。 すると、自分の中に重く根ざしていた、何かの風景が変わったのです。
たとえば、死者が横たわっている瓦礫を、花畑に変えてみる。するとその死者は、もはや死者ではなく、花畑で昼寝をしているように見えるのです。まもなく、昼寝から覚めて、ふたたび、起きあがるかも知れない。
飛行機が落としている爆弾を、空を舞う天使の群に描き直して見る。
すると、そこには、現実の世界の悲惨さではない、もう一つの幻想の世界が生まれました。そして、その世界では、ぼくは、悪夢に引きづられることなく、自由でした。おそらく、「自由」であることを実感として知った、最初の体験だったのだと思います。
つまり絵を描くことで、ぼくは、自分が望む世界を想像し、現実に、対抗することができたのです。

それと同じことが、難民キャンプの子どもたちにもあてはまらないだろうか、と考えました。
当初の計画では、難民キャンプの子どもたちに、絵を描くことを教えようと、思いました。しかし、それはさまざまな理由によって、まだ無理だと気づかされたとき、では、絵本を見せてあげようと思ったのです。それが始まりでした。
しかし、どういう絵本を作るか、どういう物語を語るか……、という問題に直面しました。
そんな折、イギリスで出会ったある女性から、こうした質問を受けました。
………彼らの自身の民話や神話を、絵本にして見せるべきではないか?
その質問の背底には、自分たちが考えた物語は、どうしても、西欧文明の影響下で発想されたもので、彼らのオリジナルではない。いわば、文明の押しつけではないか、という批評が込められています。そしてわたしたちは、その言葉に、一理あると思います。
しかし、現実に、彼ら自身の民話や物語を探すなかで、もう一つの問題があることに気づきました。つまり、彼らに伝わっている民話が、すべて適当だとは思えないということです。
たとえば、日本でもよく知られている、アリババと40人の盗賊、という話がありますが、この話の内容を素直に表現すると、相手が盗賊ならば、その盗品をさらにくすねて、自分のものにしてもいい、と話になります。 日本でも、桃太郎、という昔話がありますが、だからといって、これを無条件に語り聞かせていいとは思えないのです。鬼ケ島という外国を制圧して、その宝物を分捕ってくる話だからです。

そういうわけで、わたしたちは、オリジナルで創作することを決意しました。
題材は、夢。
いわゆる抽象的、概念的な夢ではなく、わたしたちが、実際に見た夢です。
そこから、わたしたちのプロジェクト名称が変わりました。最初は、ただの「絵本キャラバン」だったのですが、<ファンタジー劇場キャラバン>という名称になったのです。夢の話、つまり、ファンタジー、というわけです。

実際に試作品を作って、アフガニスタンの難民のために働いているNGOの人に見せました。そして、そこで聞いたアドバイスをもとに、単なる「夢の話」だけではなく、彼らに閉ざされた自然や世界につながる、夢の話にしたいと考えました。
そこで、わたしたちは、彼らに見せるべき世界、自然を5つのカテゴリーに分けました。すなわち、動物、鳥、樹(森)、海、そして、空。それぞれのモチーフを題材にして、それぞれの夢をもとに、ファンタジーを創作したのです。

そして、実際に難民キャンプの子どもたちに見せました。
そのときの子どもは、まず、わたしたちには、予想外の反応を示しました。つまり、その子どもたちがまず見せた反応は、その物語の「語り手」を探すことだったのです。
そのことが、わたしたちに大きな発見をもたらしてくれました。すなわち、ファンタジーとは、本来、語り手(ストーリテラー)がいて、直接、語られるものだという、あまりにも自明な事実の再発見です。
語り手が、直接、語るということは、決して、嘘を語ることがない、ということだからです。

『密林の語り部』という小説があります。この小説は、ペルーを去ってフィレンツェに移り住んだ著者(語り手)が、ある画廊で、一枚の写真の展示を見るところからはじまります。それは、アマゾンのインディオの最近の写真でした。ひとりのアーブラードール(語り部)が、マチゲンガ族に話を語って聞かせている様子をとらえた写真なのです。
ところが、その男は20年ほど前に姿を消した友人であった。ユダヤ人とインディオの混血であった、その友人は、いわば西欧社会ではアウトサイダーだったのです。彼が、マチゲンガ族のアーブラードール(語り部)になっていることに興味を持った筆者が、その後を追います。著者のバルガス・リョサは、こう書いています。
………「ストーリーテラーのように語るとは、文化のまっただなかで感じ生きる能力を意味する。つまり、文化の神髄に迫り、歴史と神話の精髄に達し、タブーやイメージや祖先から受けついだ願望や恐怖を手にとるように表わすのである。それは、マチゲンガ族として深く根をおろすことである。彼らは昔から続く血族のひとつで、ばらばらな人々をひとつの共同体にまとめる話、法螺、虚構、ゴシップ、滑稽な話を伝えながら、また人々の心に一体感や、友愛にみちたゆるぎない何かで結ばれているという気持ちを抱かせながら、わが祖国の森をさすらった人たちである」。

ファンタジー、すなわち民話とか物語というのは、もともと口承(語られるもの)だったのです。そして、なによりもその語り手たちは、その共同体にいる子どもたちに、自分たちを取り巻く世界の現実を、想像で補ってみることを実践的に教えたのです。語り手は、したがって、その子どもたいtに対して、決して嘘をつくことは許されない。
しかし、わたしたちはいま、そういう誠実な社会に生きているとは言えません。物語やファンタジーも、商品として生産される時代となり、語り手たちも、それを聞く(読む)者よりも、出版社やメディア、あるいは体制の意向によって物語を創ります。そればかりか、ある特別な意図によって、恣意的な物語が作られ、語られる。あるいは、単なる想像上の物語が、あたかも真実であるかのように語られる。つまり、ファンタジーが「歴史」となるのです。

ワルター・ベンヤミンは「ストーリーテラー」について、こう述べました。
………「私たちは自由な社会で自由にものを言っていると思いこんでいる。私たちは自由に考えを表明し合っていると思っている。だが私たちが言葉にするまえに考えが規定され、言葉が硬化させられるのはよく経験することだ。言葉の基準、言葉の選択、表現、身ぶりなどは、私たちが生まれる以前に社会によって作られたものであり、実は、政治家や宗教の指導者たちの手によって、たくみにひとつの記号体系に組みこまれているのだ。彼らがそうするのは、一見自然で正しく見える「神話」(歴史)ではあるが、基本的には現状の権力構造を強化する機能をもつ種々の「神話」(歴史)を生みだすためである。この記号体系は、政府と宗教団体と企業のうちのどこに支配権が移るかによって違いが生じ、それぞれが思想表現の自由を禁じる法律か信仰か商品のいずれかを、いっそう熱心に深く考えもせずに消費することになるのだ。しかし、自由の神話をちらつかせるクモの巣状の規制網に、裂け目がないわけではない。亀裂と溝はある。だから自由の神話を真実だという仮定を疑い、ひっくり返し、その矛盾点を説きあかせば、私たちは想像力をほんとうに表現する場を得られるのだ。ほんとうにストーリーテリングの出番はここにある。」
さらに、ベンヤミンは、こう語っています。「語り手がほんとうに共同体の幸福を願うのならば、経験の交流をする才能や実行力がストーリーテリングの中心にすえられているはずだ」と。彼はまた、この誰も奪うことのできない才能や実行力が私たちから奪われようとしているようだ、とも述べています。

わたしたちは、じつは、こういう物語の語り手(ストーリーテラー)の不在こそが、現代の子どもたちの最大の不幸ではないか、と思いはじめています。こうした状況は、じつは物質的には恵まれているはずの、日本の子どもたちにも通底している問題ではないでしょうか。歴史の教科書に神話を掲載し、それをあたかも事実のように語られている日本の子どもたちも、じつは、難民の子どもたちと同じように「あらかじめ奪われている」のかもしれません。少なくとも、「自由」ではないのではないでしょうか。
いま、わたしたちは、難民の子どもたちだけではなく、すべての子どもたちを視野に入れなければならないのかも知れないと、考え始めています。



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