人質問題
国際NGOの一人として/陳 富子


ご紹介いただきました、Like Water Pressの陳です。
まず、この場に呼んで下さった瀧谷さん(アフガニスタン義肢装具支援の会代表)と、前川さん(養護学校教諭)、そして江坂さん(「障害」児と共に歩む会主催)に感謝を申し上げます。
そもそも、代表の瀧谷さんと知り合いになりましたのは、私たちの活動を紹介する朝日新聞の記事がきっかけでした。その記事をお読みになった瀧谷さんからお電話をいただき、交流が始まったのです。 瀧谷さんのような活動をされている方に、私たちの活動が注目されたことをたいへん嬉しく、光栄に思います。



わたしたちの活動は、世界に存在する難民の子どもたちに向けて、わたしたち自身が創作したファンタジー映像を見せて回るというもので、わたしたちはこれを<ファンタジー劇場キャラバン>と呼んでいます。
この世界には、戦争や紛争、さらには自然破壊などによって苛酷な生活を余儀なくされ、「夢を見ること」や「未来を描くこと」、言い換えれば「目を輝かせる」権利さえ奪われている子どもたちがたくさんいます。わたしたちは、そのような子どもたちに「夢を見るためのタネ」となる物語を映像として作り、映写機やスクリーンを持って、その物語を見せて巡っているのです。
そして2003年の8月〜9月、今年2004年の2月、パキスタンとアフガニスタンで約3000人の子どもたち前で、わたしたちのファンタジーを上映することができました。そのファンタジーについては、講演後にこの催事場で上映されますので、お時間のある方はぜひ、ご覧になっていって下さい。

さて、きょうはここで、わたしたちの活動の説明以上に大切な話しをさせていただきたいと思います。それはイラクで人質にされていた3人の日本人の方々に関する話しです。彼らが無事に解放され、ホッとしていると同時に、一方である怒りがぬぐい切れません。
その怒りは、もちろん、ここ数日、政府筋や一部分のメディアで報道されている自己責任論に対してもありますが、問題はむしろ、より根源的なもののように思えます。
みなさんもご記憶に新しいと思いますが、彼らが人質にされた当初、拘束した側から次のようなメッセージが届いていました。
………日本政府が自衛隊を撤退させなければ殺す、その期限は3日。
しかし、日本政府が即座に決定し、世界に発表したのは自衛隊を撤退させないというものでした。
このことは、言い換えますと、「あなた方は人質にした日本人を自由に殺してもよい」と、彼らが猶予した3日を待たずに、日本政府が宣言したことと等しいのではないでしょうか?
日本政府は3日の猶予を与えられていたわけですから、少なくともその3日間だけは、真剣に考えてもよかったのではないでしょうか。国民の意見を聞くべきだったのではないでしょうか。すくなくとも、せめて、撤退する可能性をほのめかすフリをすることもできたはずです。しかし、そうする代わりに即座に、3人を見殺しにすると判断した日本政府の冷たさに、わたしはゾッとしました。

その時、わたしはこんなふうに想像してみたのです。
たとえば、わたしが、イラクに会社のある企業の代表者の娘で、同じように誘拐されたとします。その後、犯人からわたしの父に、企業をイラクから撤退させることを要求してきます。その要求を呑まなければ、3日後にわたしを殺すという状況になったとき、わたしの父は、要求内容については何ら考えもしないで、その要求に対して、即座に断ったとします。つまり父は、要求を考慮することさえせずに、わたしの命を犠牲にしてもいいと判断したわけです。
これとまさに同じことが、日本政府によってなされたのではないでしょうか。
これを、毅然とした態度という人たちがいますが、わたしにとって、これは冷酷さ以外の何ものでもありません。先に話したわたしのたとえでいえば、いかなる要求であれ、その要求を考慮することもなしにわたしの命をいとも簡単に見放すことができる父親、そしてその父がわたしの命と引き換えにしても護るという企業を、決して許すことはできないでしょう。



当時、拘束者側の要求を即座に断った日本政府の対応を、人質になった3人が伝え知らされていたかどうかはわかりません。もし知らされていたとしたら、そのときの彼らの心境を思うだけでも悲しいものがあります。
しかし、彼らは3日が過ぎても殺されることはありませんでした。
その点については、一貫して「日本人は友だちだ」と主張しつづけ、人道的にふるまったムジャヒディンたちに感謝すべきだと思うのは、わたし一人だけではないと思います。
自衛隊派遣の是非については敢えてここで申し上げませんが、日本人を自分たちの友だちと見なし、人質を殺すことなく解放したイスラム教の人々から、自衛隊の存在は強い反感を持たれ続けていくことは確かだと、改めて思わされます。

さらに驚くべきことに、この2、3日の政府筋の論調には「自己責任」や「自業自得」、また「経費賠償」という発言が出ています。
このような無情としか言いようのない決めつけに対しても、わたしはゾッとするものを感じます。それは怒りと言っていいかもしれません。
このような決めつけをする人たちは、人質となった3人が、なぜ危険な状態にあるイラクへ敢えて向かったかを考えようともしないのです。3人のうち高遠さんはイラクの戦争孤児のために、今井さんは劣化ウラン弾の被害をアピールするための絵本づくりの調査に、郡山さんはイラクの実態を伝えるフリーのジャーナリストとして、それぞれイラクに向かったのです。
そして、おそらく彼らは3人とも見てしまったのです。
戦争がもたらした悲惨さや絶望、死んでゆく子どもたち、そして多くの人々が殺されてゆくイラクの現実を見てしまったのです。
そして彼らは、見たことを見なかったことにすることができなかったのです。

………わたしは見てしまった。わたしには責任がある、
という言葉があります。
まさに彼らも、自分たちが見てしまったことに責任を感じ、個々の責任感に従って行動したのだとわたしは考えます。
ここにいらっしゃる瀧谷さんが義足を作ってアフガニスタンへ届けていらっしゃるのも、見てきたことに対する瀧谷さんの責任の取り方なのではないかと、わたしは信じています。
そして、このわたしも見てしまったのです、難民キャンプで生きる子供たちの真摯な眼差しを。
何度も訪れた難民キャンプで、いつも心動かされたのは、こちらを真っ直ぐに見つめてくる子どもたちの眼差しでした。その眼差しは鋭く飢えていましが、当の子どもたち自身でさえ、何に飢えているのかわからないようなもどかしさをたたえていました。
この子どもたちの眼差しは、一体、何を求めているのだろう?
この眼差しは、一体、何を見たいのだろう?
そして、わたしはこの眼差しに対して、何をすることができるのだろう?

これらの疑問が、すべての始まりでした。
その自問にきちんと答えていく生き方をすることが、見てしまった人間の責任なのではないかと思うのです。だからこそ、わたしは各々の責任を果たそうとしてイラクに向かった3人に心からエールを送りたいと思います。
その後に解放された2人のジャーナリストを加え、彼らのような人間を見殺しにするような政府や国、あるいは文化に、わたしは決して加担したくありません。しかしわたしたちは、知らず知らずのうちに、そのような文化に取り込まれてしまっているのではないか、そのことを今回の事件を通じて改めて感じさせられてもいます。
わたしたちは、サマワへの自衛隊派遣について、どれほど真剣に考えているのでしょうか?
わたしたちは、イラクの人々の不安や悲しみを、どれだけ真剣に考えているのでしょうか?
今回の事件や、ここで催されている写真展で伝えようとしているものを通して、自分たちが現在どのような社会や文化に置かれているかを、いま一度考えてみてほしいと思います。
どうか、みなさん、まず考えることから始めてください。
そして、今夜、帰国する高遠さん、今井さん、郡山さんが、日本で今後も活動を続けていくことを激励し、応援してあげてください。
それが、海外で活動する一つのNGOの代表として、いまここで皆さんに伝える、わたしの切なるお願いです。
どうもありがとうございました。