◆2005年9月30〜10月30日



2005年9月30日〜10月30日の1カ月間、本年度3回目の[ファンタジー劇場キャラバン]を展開してきました。
カブールを中心に、ファンタジー上映をはじめとする従来の活動に加え、新しい試みもいくつか実現させました。今回のキャラバンでは、2700人以上の子どもたちにファンタジーの上映を、1200人あまりの子どもたちに靴を届けました。「絵本文庫」では絵本74冊を2箇所に収め、「エルタマス基金」では新しく2人の子どもが加わりました。
これもすべてみなさまのご支援のおかげです。ありがとうございます。




今回のキャラバンは、イスラム教の断食月「ラマダン」とともに開けました。
10月4日から月が再び満ちるまでの1カ月間、日の出から日没までの間に断食が行われるのです。外国人で、イスラム教徒ではないわたしたちが彼らの習慣に従う必要はありませんが、滞在期間の長さや新しい体験も加わって、かつてない環境下でのキャラバンとなりました。

また、新たな試みとして、「子ども週間」の実施(展覧会の開催および劇場版上映会)、聖地マザリシャリフへのキャラバン、「エルタマス基金」の新しい2人の子どもたちとの出会い、スタッフ以外の方のキャラバンへの参加、などが挙げられます。どの体験も忘れがたく、そこにまつわるエピソードは枚挙にいとまがありません。なかでもとりわけ感慨深いものを拾い上げながら、今回のキャラバンの様子を日誌と雑感録とをあわせて、伝えていきたいと思います。


子ども週間/カブール Children's Weeek in Kabul/2005


●「子ども週間」とはなにか?
2005年10月17日〜20日の4日間、カブールで「子ども週間/Children's Week in Kabul 2005」を実施しました。
「子ども週間」とは、子どもたちの、子どもたちによる、子どもたちのための、いわば<文化祭>として企画されたものです。
今回はカブールの子どもたちの描いた「カブールの幽霊」展と、劇場版《ファンタジー劇場キャラバン》の2部構成となりました。場所はフランス大使館管轄下のフランス文化センターです。「カブールの幽霊」展は同センターのロビーで行われました。

この展覧会の発想は、ある偶然から生まれました。2005年初め、新たに展開されるカブールでの活動に向けて、わたしたちはさまざまな観点から、カブールの子どもたちの実態をリサーチしていました。そのなかで一つの興味深いデータに出会ったのです。
UNICEFとNGO のSave the Childrenが共同で調査してまとめた<カブールの子どもたちChildren in Kabul>という報告書でした。
この報告書は、タリバン政権崩壊後のカブールの子どもたちの「心のありよう」についての聞き取り調査を中心にまとめたものです。そのなかで、わたしたちは2つの調査報告に注目しました。
それは子どもたちが「最も怖いと思うもの」と「最も嫌だと思うこと」のベスト10をリストにしたものです。その第1位がともに「幽霊だったのです。
「その幽霊とは、一体どのような姿かたちをしているのだろう?」
その自問が出発点でした。
2005年3月、カブールを訪れたわたしたちは国内難民キャンプで暮らす子どもたちに「幽霊を見たことがある?」と尋ねてみました。思いがけなく数人の子どもたちが頷くのをみて、彼らの幽霊の絵を描いてもらうことにしたのです。わたしたちが紙とカラーペンを配ると、子どもたちは夢中になって、幽霊の絵を描きはじめました。生まれて初めて絵を描いた子どもたちもたくさんいます。
彼らの描いた「幽霊」の絵は、わたしたちの予想をはるかに超えたものでした。子どもたちの絵の想像力の豊かさと、そのリアリティーに目を見張ると同時に、それらの絵を他国の子どもや大人にも見てもらい、あらかじめ奪われた子どもたちの<心の原風景=幽霊>を世界に向けて発信していかなければならない、と痛感させられたのです。

その最初の一歩として、「カブールの幽霊」展をカブールで実現したのでした。おそらく、カブールで最初の子どものための展覧会です。この展覧会にはアフガニスタンのNGOアシアナの協賛を得ました。また、会場の演出には子どもたち自身も参加しました。カルガイ・キャンプの子どもたちです。キャンプに運び込まれた17枚の大きな板に子どもたちは嬉々として思い思いの絵を描き込んでくれました。

一方、劇場版ファンタジー劇場キャラバンは10月18日と20日の2日間、同センターの公会堂を借りて上映されました。本格的な劇場用スクリーンでの上映は、わたしたちにとっても初めてのことです。
上映初日に招待したのは、カルガイ、ダルラマン、ワイセラバードの各キャンプの子ども、アシアナが運営するセンターに通う子ども、そしてどこにも属さないストリートチルドレンの総勢約1200人の観客です。座席に座りきれない子どもたちは通路に座ってもらいました。上映の後は展覧会場へ子どもたちを招き、自分たちの描いた「幽霊」の絵を鑑賞してもらいました。
20日の上映には約300名の子どもたちが来場しました。フランス文化センターの運営するエスタクラル学校の生徒や、近くの市場で働くストリートチルドレンです。
ちなみに公会堂の使用は有料ですが、初日の上映会での子どもたちの反応に感銘した所長のダニエル氏が2回目の使用を無料にしてくれました。彼の理解と好意に感謝するとともに、そういう好意を示してもらえる価値が「子ども週間」にあったことを確信し、大いに勇気づけられました。


●9月30日(金)/10月01日(土)
午後8時40分、羽田空港出発。東京豊島ライオンズクラブの会員、芦田公さんの参加で、今回は4名のクルーだ。出発直前に起こった、アフガニスタンでの日本人男女殺害事件の影響で、当初予定していたライオンズクラブからの参加予定者5名のうち、芦田さんだけの参加となった。最後まで彼が行く意志を翻さなかったのには「あなたたちと共に発たなければ、この30日を過ごすのがつらいと思った」からだという。その言葉に芦田さんの思いの強さと温かさを感じた。
翌10月1日の午前5時10分、関空経由でドバイに到着。ドバイの市街は近代的なたたずまいを見せるが、一歩、裏通りに入れば庶民の生活が根づく昔ながらの町並みだ。街は全体的に清潔で、働く子どもたちの姿はみあたらない。レストランで家族と食事をする子どもや、スクールバスから降りてくる子どもをみるぐらいだ。アフガニスタンやパキスタンの街で、当たり前のようにストリートチルドレンをみてきたわたしたちにとって、これは大きな差違に映った。

●10月02日(日)
午前6時、ドバイ発。初めての空路でのカブール入りだ。
飛行機から見下ろすのは途方もなく広大な山岳地帯と、はてしなくつづく荒野。その所々に小さな村らしきものがポツンと点在しているのみだ。地球とはまるで別の惑星を眺めるかのようだが、これも同じ地球上の光景なのだ。山肌や荒野にときどき映るわたしたちの飛行機の影も、この広大な大地のなかではあまりにもはかなげで小さい。
カブールに近づくほどに、戦争による破壊の跡が目立ってくる。工場跡だろうか、空爆を受けた大きな建物もみえる。この乾ききった、こんなにも「無」に等しい場所にさえ、なぜ爆弾は落とされないでは済まなかったのか? 人間のあまりの愚かしさに、その疑問さえも乾いて聞こえる。この乾いた疑問を一体いつまでわたしたちは問いつづけていくのだろう?
地球規模でみれば干ばつも洪水も自然の営みの一つでしかない。人間にとっては厳しい砂漠や荒野も、地球には親しいものなのだ。眼下の光景は美しくもあり恐ろしくもあった。あらゆるものを呑み込んでしまう、このような自然の巨大さを前にすると、人間は、とくに先進国の人間であればあるほど、得体の知れない畏れを抱くのではないか。畏れは破壊の欲望を引き出す。もともと壊すものがなければ、その場所を攻撃しても罪にはならないだろう、そんな意識がアフガニスタンへの軍事的介入と破壊を容易にさせたのかもしれない。そこに生きる人々が異教の民であれば、なおさらだろう。
もし人間に自然を畏れる本能が本当にあるとすれば、人はもうこれ以上、自然に、いらぬ手を加えてはいけない。ましてや破壊などは許されてはならないのだ。

午前9時10分、カブール空港に到着。しかし空港内で2時間もの足止めを食う。この日はカルザイ大統領がフランスに向かうため、空港および滑走路を無人化していたためだ。空港の機能もすべて一時中断され、荷物さえ流れてこない。
ようやく空港の外へ出てみると、相変わらずの強い日射しと土埃と排気ガスと渋滞に迎えられる。街にはクラクションの音があちこちで喧しく鳴り渡っていた。

●10月03日(月)
 第1回《ファンタジー劇場キャラバン》
 カタヘル学校(280名)
 デ・サバス/カブール州

この学校はISAF(国際治安支援部隊)のフランス部隊によって、今年8月に建設されたばかりだ。開校されてまだまもなく、校長先生も数日前に着任したばかりだという。
上映は男女分けて3回。少女たちの反応は控えめだが、少年たちの反応は大変なものだった。とくに海の話しでは息を呑む声が聞こえるほど。子どもたちのほとんどがシマウマも海もクジラも見たことがない。面白いことに、その多くがシマウマの存在は信じないが、シマウサギの存在は信じると言うのだった。
上映後、村の長宅で昼食の招待を受ける。



●10月04日(火)ラマダン開始
カタヘル学校にて靴の贈呈。靴の贈呈にエルタマスも参加してもらうため、カルガイ国内難民キャンプに立ち寄る。3カ月ぶりのエルタマスとの再会だ。
わたしたちに会ったエルタマスの第一声は、「なぜ、こんなに来るのが遅かったの?」。わたしたちの来訪を心待ちにしていてくれたらしい。うれしいことだ。
午前9時、足の測定開始。子どもたちは前日の上映と打って変わって落ち着きがない。我先に靴をもらおうとする若者たちがいたためだ。幼い順に一人ずつ並ばせるのに、かなりの時間を要した。着任したばかりの校長先生ともども悪戦苦闘の末、配り終えたときはすでに正午を回っていた。
若者たちの身勝手さを嘆く一方、自分の靴を嬉しそうに見せあったり、靴箱を大事そうに抱えて帰る子どもたちの姿を見ると、その嘆きも怒りも報われる思いだ。
帰り際、校長先生に先生用のプレゼントを託す。先生たちへのプレゼントは前回のキャラバンでの課題の一つだったが、今回から男性に財布、女性に口紅を用意していた。

この日よりラマダン開始。これから1カ月間、レストランは昼の営業を停止するため、昼食は外で食べられなくなる。この日の日没時刻は5時40分。パキスタン人の仲間はまずお祈りをすませ、常温水、ぶどう、ザクロ、ヨーグルト、そして「ブラニ」というアフガニスタン風のお好み焼きを口にした。それまで水の一滴も口にできなかった彼らにとって、これが第1回目の食事となる。

●10月05日(水)ラマダン2日目
 第2回《ファンタジー劇場キャラバン》
 プレチャルキ国内難民キャンプ(180名)
 プレチャルキ/カブール州

プレチャルキはかつて訪れたパキスタンとの国境沿いにあるアフガン難民キャンプを彷彿とさせた。無数のテントの中にはUNICEFの文字が印刷されたテントもみえる。キャンプ自体は1年ほど前に建てられ、あるNGOの支援で学校も運営されていたが、その学校は2カ月前に閉鎖された。子どもたちが          2つのグループに分かれて大げんかをし、その結果、1人の少年が片目を失明してしまったのだ。このキャンプは、さまざまな部族が寄り集まっているため統制がきかず、問題が起きたときの責任の所在がない。そこで同じような事件を恐れた教師たちが学校の閉鎖を決定したのだ。以降、政府をはじめ、NGOによる支援も打ち切られてしまった。



そのためだろう、上映後、校長先生が「いまではだれもわたしたちを支援してくれない。こうして皆で集まる機会をつくってくれて、ありがとう」と語っていた。
上映会場はかつて学校として使われていたテントの中だ。子どもだけではなく、大人も映像を真剣に見つめ、とくに「鳥のはなし」が気に入ったようだ。
校長先生の息子である14歳の少年は、その理由として、「アフガニスタンはいま国をつくっている。鳥が巣作りをするのと同じだから」と答えていた。
上映後、7歳〜10歳の子どもだけに残ってもらい、彼らに紙とカラーペンを配る。「幽霊」の絵を描いてもらうためだ。

●10月06日(木)ラマダン3日目
プレチャルキ国内難民キャンプにて靴の贈呈。上映で使った同じテントの中で行われた。足の測定をはじめてまもなくして、列が乱れはじめた。キャンプの外にいた大人たちが、並んでいる子どもたちの順番を無視して我が子を先にさせようと躍起になったからだ。靴を手に入れたい、という焦りからであるのはわかるが、その必死さはその場の空気を殺気だたせるほどのものだった。そんな大人たちに煽られて子どもたちも高揚しはじめる。じきに収拾のきかない事態となり、仕方なく足の測定を中断、運んであったすべての靴を置いてキャンプを後にする。靴の贈呈の途中で退散したのは、これがはじめてだ。
残された靴がその後どのように配られたのか、子どもたち全員にゆき渡ったのか、それらを確認できないまま離れるしかなかったのが残念でならない。 ※[雑感録]参照→



●10月07日(金)ラマダン4日目
東京豊島ライオンズクラブの芦田さんの帰国日。仲間のみんなでカブール空港へ見送りにいく。Like Water Pressと協力関係にあるアシアナの代表ユーソフ氏も空港に駆けつけた。
芦田さんと共に行動できたのはわずか1週間だが、もっと長く感じられるのも、彼が帰国するのが嘘のように思えてしまうのも、現地で常に行動を共にしてきたからだろう。
その間、外からの参加者として、芦田さんは冷静にわたしたちの活動を見つめていたはずだ。その彼が「ここに来てはじめてあなたたちの活動を理解できたし、その必要性を実感した」と語ってくれ、「エルタマス基金」として1人分の支援金も寄付してくれたのだ。芦田さんはわたしたちの活動の証人でもある。今後も彼のような証人が増えてくれればと思う。

わたしたちが見送れるのは、空港の外のゲートまでだ。ゲートで1人ずつ抱擁して別れを告げる。芦田さんが空港の中に入るまで、わたしたちはいつまでも手を振りつづけた。

●10月08日(土)ラマダン5日目
早朝、パキスタン北部の山岳部とアフガニスタン南部の一部に地震が発生。地震発生前の午前5時、わたしたちはカブールを発ってマザリシャリフに向けて移動を開始していた。マザリシャリフにあるアシアナの職業訓練所で、ファンタジー劇場キャラバンを行うためだ。
約9時間のドライブ中、車窓から眺める景色は美しかった。山間部に点在する村々のたたずまいは、折しも紅葉の季節ということもあって、平和そのものだ。一帯は戦火も避け得たのだろうか。




午後3時、マザリシャリフ到着。カブールより高度が低いため、暖いが乾燥が激しい。
ちなみにマザリシャリフとは「高貴な墳墓」を意味する。名前の由来になったブルーモスクは15世紀初頭に建立されたもので、ムハンマド(マホメッド)の女婿にしてシーア派の聖人であるアリの墳墓とされる。いまではシーア派・スンニ派を問わず、イスラム教徒の信仰の象徴として多くの人々が訪れている。
アシアナの職業訓練所は設立2年目。10代後半の若者たちが通い、木工、電気工学、金属工芸やコンピューターなどを学んでいる。わたしたちの上映と靴の贈呈はこの訓練所の一室を借りて行われることになる。

●10月09日(日)ラマダン6日目
 第3回《ファンタジー劇場キャラバン》
 アシアナ職業訓練所(380名)
 マザリシャリフ/バルク州

男女分けて2回の上映。暗幕で閉めきられた部屋の中は、子どもたちの熱気も加わって暑さが充満したため、途中、休憩をはさんで涼を取らせる。
上映は男子から開始。女子の上映の最中、家の用事で帰らなければならない子や、子守りをしている小さな妹が泣き出して途中で外へ出なければならない子たちがいた。子どもたち自身が見たくても見られない状況が口惜しい。上映後、例によって男女ともに7歳〜10歳の子どもたちに「幽霊」の絵を描くようお願いする。

午後、明日の贈呈のために現地の靴屋を探す。靴一足の値段はカブールよりも安いが、卸値のためダース注文だ。
しかしラマダンのため必要な足数が今日中に揃えられないという。そこで明日の午前中に測定を済ませ、サイズと照らし合わせた足数分を、午後に届けてもらうことにした。

●10月10日(月)ラマダン7日目
アシアナ職業訓練所にて靴の贈呈。午前10時、足の測定開始。約2時間半を要する。名前と足のサイズを書いたカードを子どもたち一人ひとりに持たせ、午後、そのカードと交換に靴を受け取るという段取りだ。
ここでも子どもたちが並ぶということを知らなかった。いわゆる配給に慣れてしまった子どもたちは我先にと押しかける。最初にもらわないと自分の分がなくなってしまうかも知れない、という思いがそうさせるのだろう。「みんなの靴を用意しているから心配しないで並びなさい」と教える先生もいない。やむなく、わたしたち自身で子どもたちに列を作らせねばならなかった。
最初は、子どもたちの興奮につられてこちらも声を荒げてしまうが、そうするとなかなか聞いてくれない。しかし余裕をもって接しはじめると、こちらのいうことを聞いてくれるのだ。勝手な振る舞いをしていた子どもの頬や頭や肩に触れながら語りかけると、照れて素直になる。割り込みやごまかしを徹底して止めていると、いつしか子どもたちもわたしたちの姿にならって互いに注意をしはじめる。たとえ日本語でも、子どもたちはわたしたちがなにを求めているのかがわかっていた。
ひょっとしたら、この子どもたちはこんなふうに語りかけられることがないのではないか? 叱られたり言いつけられたりはしても、大人たちに語りかけられることは、あまりないのかもしれない。



一人一人に語りかけるという行為が大切なのだ、とあらためて気づく。自分に語りかけられれば、だれしも耳を傾けるものだ。わたしたちがそうであるように、この子どもたちもやはりだれかに語りかけてもらいたいし、やさしく触れられたりもしたいにちがいない。
それは、叱ったり、怒ることでは決して得られない子どもたちの反応だった。
午後2時、ようやく注文の靴が届く。部屋の窓から子どもたち一人ひとりに靴を手渡していくとき、子どもたちが自ら列を作りはじめた。午前中のことをしっかり学んでいたのだ。そのことが無性にうれしい。
靴も半分ほど渡した頃、注文したサイズの足数が合わなくなってきた。カードを偽造し、そのカードで靴を受け取った子どもがいたためだ。そのように筆跡を真似るという偽造は、子どもにはできない。偽造したのは、おそらく悪知恵にたけた大人の手によるものにちがいない。
子どもたちは柔軟だ。だからすぐに学び吸収してしまう、いいことも悪いことも。善悪どちらを学ぶかは、その子どものまわりの大人たちによって決まってしまうのだろうか……。
先に進もうとする子どもたちの前途を阻む石、それはいたるところに落ちていて、それを見せつけられるたびに暗澹となる。

●10月11日(月)ラマダン8日目
午前5時、マザリシャリフを出発。収穫の時季とあって稲刈りをする風景をあちこちでみる。ラクダ、牛、山羊などの放牧もあり、晩秋ののどかな光景だ。ここにあるのは荒野だけではないことをあらためて思う。
午後5時、約12時間かけてカブールに到着。3日ぶりのカブールは肌寒く、すでに初冬の気配を漂わせていた。この日をさかいに気温は次第に下がっていく。

●10月12日(月)ラマダン9日目
NGO「子どもと女性のための教育基金」によって運営される学校へ向かう。場所はワイセラバードだ。ここは学校といっても小さなテントのため、上映は地域のリーダー(指導者)の家の2部屋を借りて行われることになる。
そこで、ちょっとした事件が起こった。わたしたちがその家に到着するや、ひとりの父親がやってきて、「子どもたちにこんなものを見せる必要はない」という。もちろん、その男性はわたしたちのファンタジーの内容を知らない。また知ろうともしなかった。とにかく「動く映像」は駄目だというのだ。NGOの女性と地域のリーダーがその内容を説明しながら、「これは子どもたちに見せるべきものだ」と主張し、男性の抗議を受けつけなかった。※[雑感録]参照→
そのやりとりを見ながら、「見せたくないなら、自分の子どもだけを連れて帰ればいいではないか」と思うが、その父親にとってはそう単純ではない。見せたくはないが、自分の子どもだけではイヤなのだ。その結果、ほかの子どもたちの自由や権利を妨害することになるにもかかわらず……。
ところが、この日、いざ上映をはじめようとしたところ、アンプがショートしてしまった。これによって上映が不可能となり、翌日に延期せざるを得なくなった。

●10月13日(木)ラマダン10日目
 第4回・第5回《ファンタジー劇場キャラバン》
 NGO[子どもと女性のための教育基金](245名)
 ワイセラバード/カブール州

前日のアクシデントによって多忙な一日となる。ファンタジーの上映と靴の贈呈を同日に行わなければならないからだ。上映場所も2箇所に分かれているため、午前と午後に分けて巡演した。
足の測定は先生が生徒の名簿を1人ずつ読み上げながら行われたが、ここでもやはり「靴をもらえる」と聞きつけた村の子どもたちや大人たちが興奮してやってきた。けれども、数に限りがあるため名簿にのっている子どもたちにしか靴は渡せない。ここで名簿というのは学校へ来ている子どもたち、もっと厳密にいえば、わたしたちのファンタジーを見た子どもたちを意味している。

午後3時、劇場版「ファンタジー劇場キャラバン」の会場となるフランス文化センターのホールへ向かう。わたしたちのファンタジー作品を劇場で上映する場合の技術的な確認をするためだ。500席のホールに設置されている大きなスクリーンは、わたしたちがこれまで映像を上映してきたうちで最大のものだ。大きなスクリーンに映し出された映像はまるで別の物語のようにもみえ、かすかな感動さえ覚えた。このスクリーンでファンタジー映像を見つめる子どもたちの顔を想像して、うれしい気持ちになる。

●10月14日(金)ラマダン11日目
展示会のための準備がはじまる。カルガイ国内難民キャンプに17枚の木の板を運び込み、子どもたちに絵を描いてもらう。
100本ほどのカラーペンを配ると、子どもたちは思い思いの絵を描きはじめた。女の子は花・家・人形、男の子は自然(山や川)・人物・乗り物、若者は女性の顔・ハート・鳩など、年齢や性別によって描きたがる絵のパターンがあるようだ。やがて描き上げた板を子どもたちが見せてくれる。
どの絵も生き生きとしてダイナミックだ。もとより模範があるわけではなく、ひたすら直感や実感によって描かれていた。この子どもたちが即興で描いた絵/落書きの愉しさには、あらためて舌を巻く。



●10月15日(土)ラマダン12日目
NGO「子どもと女性のための教育基金」運営の学校を再訪。子どもたちに頼んでいた「幽霊」の絵を引き取るためだ。
ところが2つの学校とも先生が一人もおらず、数人の子どもたちが待っているだけだった。その子どもたちが「タシャクル(ありがとう)」といって描いた絵を渡してくれる。そこへ、わたしたちの来訪をどこかで聞きつけて、たちまち大勢の子どもたちが絵を持って集まってきた。なかにはその場で色塗りの仕上げをする子もいる。
絵のなかには「幽霊」ではなく、自分の好きなもの、美しいと思うものを描いたものも多く見られる。最も多く描かれていたのは花。恐れているもの、怖いものとは正反対のものだ。けれども一人ひとり懸命に描いたあとが見て取れる。それらの絵は彼らの思いの表現であり、メッセージなのだと、あらためて感じた。

●10月16日(日)ラマダン13日目
翌日に迫る展覧会の準備のため二手に分かれる。一方は会場の設置作業、もう一方は展覧会に必要なものの買い出しへ。しかしロビーに花を飾るための花瓶を探せないでいた。そこで、日本大使館に行ってみることに。日本大使館ならば生け花用の花瓶を用意しているかもしれない、という思いつきからだ。アポイントメントなしの訪問だったが、3回に渡るセキュリティー・チェックを経て担当者に辿りつくことができた。
外務省の「草の根・人間の安全保障無償資金協力」に携わっている方だ。わたしたちの活動の趣旨を説明すると興味を示してくれ、展覧会に必要な花瓶もどこかで調達してくれるという。「子どもたちのために少しでもお役に立てれば」という言葉がうれしかった。
大使館を辞した後、展示会場へ戻って絵の展示作業を行う。作業は午後9時近くまでおよんだ。

●10月17日(月)ラマダン14日目
 子ども週間/第1部「カブールの幽霊」展開催
 会場:フランス文化センター(エスタクラル学校)ロビー
 カブール

「カブールの幽霊」展初日。この日のために50通以上の招待状メールを各方面の関係者やNGOに送っていたが、朝からはじまったデモによって来場者も少ない。午後、フランス文化センターの紹介でラジオ局サダエアザディ(SADA-E-AZADI)の取材を受ける。




この日のデモは、9月のアフガニスタン議会選挙にまつわるものだ。アメリカの後ろ盾はあったものの、今回の選挙は初めての民主的な選挙として大衆も少なからず期待していた。しかし開票されて当選者が決まっていくなか、以前から権力を握ってきた豪族や派閥のリーダーたちが上位を占めていることが判明、その結果に対して他の立候補者、権力や後ろ盾のない立候補者たちが政府に対して抗議していたのだ。
ユーソフ氏曰く「民主化といっても、国を支配する人々の中味は変わりません。国民にしても、もともと力のある者に頼るため、自分の利用できる身近な人間を選ぶわけです。こうして権力者は相変わらず権力を握りつづけ、私腹はさらに肥やされ、悪行はどんどんエスカレートしていく。そして、それを許す国民がいる。それが、アフガニスタンという国なのです」
この日以降、デモはほとんど毎日つづいた。

●10月18日(火)ラマダン15日目
 子ども週間/第2部:劇場版《ファンタジー劇場キャラバン》第1回
 会場:フランス文化センター公会堂

初回は午前9時〜11時、カルガイ、ダルラマン、ワイセラバードのキャンプの子どもたち約520名。
2回目は午後12時〜2時、アシアナが運営するサラングワット学校とシャシュダラック学校の子どもたち、およびストリートチルドレンの約700名が来場。
この様子はAINAテレビジョン、およびラジオ局"Good Morning Afghanistan"でも取材された。




午後2時半、駐アフガニスタン・フランス大使、レジス・コシェット氏が展覧会場を訪れる。大使の来訪とあって物々しい雰囲気となるが、大使自身は体制的な匂いのしない好感のもてる人物だ。 各国大使が厳重な警備下にある大使館からめったに外へ出ないという状況のなか、フランス大使のように気軽に施設を訪問するのは珍しいという。そういう人物だからこそ、わたしたちの展覧会にも足を運んでくれたのだろう。
ラマダン15日目となるこの日、夜空に満月が皓々と輝く。アフガニスタンで見上げる月は夜ごとにその姿を変え、とても近しいものとして存在していた。月の満ち方で日の移りを感じるからだ。太古より人々は同じ月を見上げてきたのだ。国も体制も宗教も介在しない、ただ連綿とつづく地球時間。「悠久」という言葉が脳裏をよぎる。



●10月19日(水)ラマダン16日目
展覧会3日目。午後1時、カルガイ国内難民キャンプの子どもたちが再訪。展示された「幽霊」には彼らの描いたものが多い。またそれを展示する背景の板に思い思いの絵を描いてくれたのも彼らだ。自分たちの絵をゆっくり鑑賞してもらおうと、再度、展覧会に招待したのだった。
自分の描いた絵をみつけてはよろこび、だれもが絵の前で写真を撮ってほしいとせがむ。「順番に撮ろうね」と並ばせようとするが、興奮した子どもたちはいっかな落ち着かない。会場に設置したDVDの映像を見せることでどうにか落ち着きを取りもどしはじめる。※[雑感録]参照→
一方、"Children of the World Human Rights"という名のNGOの人たちが訪れる。フランス人によるNGOで、5〜12歳の300人の子どもたちの学校を運営しているという。ファンタジー劇場キャラバンの申し出を受けたため再度連絡しあうことに。彼らも小さなNGOだが、地道で丁寧な活動をしている印象を受けた。

展覧会終了後、フランス文化センター近くのバザール(市場)へ向かう。明日の2回目の劇場上映はどこにも属さないストリートチルドレンのために行なわれるものだからだ。5人で手分けして働く子どもたちにチラシを配った。そのなかの何人かだけでも劇場に足を運んでくれるようにと願う。

●10月20日(木)ラマダン17日目
 子ども週間/第2部:劇場版《ファンタジー劇場キャラバン》第2回
子ども週間の最終日。
午前10時〜午後12時、エスタクラル学校の生徒たち、およびストリートチルドレン約300名が来場。
前日にチラシを受け取った子どもたちが、開演10時前に駆けつけてくる。ほとんどがエスタクラル学校の生徒たちだ。時間どおりに来られない子や授業を抜けだせない子もいるため、2時間の上映中、子どもたちの出入りが間断なくつづいた。
この日、アクシデントが発生。開演まもなくして停電となったのだ。電気が復活するまでの間、子どもたちをステージに上げて、歌や踊りを披露してもらう。しかし停電がいつまでつづくかは知るよしがない。約30分を経過した頃、やむなく上映の中止を告げようとしたその矢先、電気がともった。場内に子どもたちの拍手喝采が鳴りわたったのはいうまでもない。




午後3時、4日間にわたる展覧会、終了。
アート雑誌"Gahnama-e-Hunar"の取材のため、雑誌社の事務所に移動する。
取材の後、児童の情緒教育の専門家と称す人たちに引き合わされた。カブール大学の教授やNGOの面々だ。彼らは子どものための劇場を持っており、そこで映像も見せているそうだが、具体的な話しは一切されなかった。「お互いに子どものための活動をしているので、今後もコンタクトをとっていきたい」とはいうものの、わたしたちの活動に興味を示すでもなく、眼もどこかうつろだ。子どものことを語っているのに、その眼がまったく生き生きとしていないのだ。
彼らの口から発せられると、なぜか「アート」も「子どもたちのため」もおざなりな言葉にしか聞こえなかった。

展覧会場に戻って、すべての絵と写真を搬出する。片づけをすませた後、所長のダニエル氏に面会。「子ども週間」への理解と協力に謝辞を述べるとともに絵本を20冊贈呈した。フランス文化センター(エスタクラル学校)の図書館に所蔵してもらうためだ。日本語で書かれた絵本だが気に入ってくれたようだ。わたしたちの展覧会と上映を認めてくれたダニエル氏は、今後の活動にあたっても協力を惜しまないと約束してくれた。

●10月21日(金)ラマダン18日目
午前中、明日から予定していた2泊3日のバーミヤン行きについて話しあう。バーミヤンにはエルタマスも一緒に行くことになっていたが、そのことがさまざまな波紋をよび、実現が難しくなったためだ。
バーミヤンへの旅は、エルタマスを連れて行くことに大きな意義があった。彼女にできるかぎり新しい体験をさせたいからだ。とりわけ、彼女の国の風土と現実とを実際に見てもらいたいと思う。 しかし結果的にエルタマスの同行は無理となり、わたしたちもバーミヤン行きを断念。エルタマスに照準を合わせたこの決断を周囲の大人は理解しにくいようだったが、だからこそ、やはりエルタマスを置いてバーミヤンに行くことはできなかったのだ、とあらためて思わされた。※[雑感録]参照→

バーミヤン行きが中止になったため、映画のロケハンをかねて、明日・明後日はカブール市街および近郊で撮影することになった。ここでいう映画というのは、わたしたちが計画している自主制作映画のことだ。
『風の記憶/風の物語』("AChronicle of the Wind")というタイトルで、アフガニスタンを舞台にした物語だ。



子どもの頃の戦火によって、自らのアイデンティティー(記憶)を喪失した青年が教える小さな学校を舞台に、地雷で片足を失った弟をもつ少女(ただ一人の女の生徒だ)、および16人の生徒たちの過去(戦争)と現在(再生)、および未来(夢)をフィクションとドキュメンタリーを織り交ぜて描こうというものだ。

●10月22日(土)ラマダン19日目
映画のロケハンのためにカブール郊外へ向かうも、デモによる渋滞のため断念。
市街に戻って映画の撮影で使う凧を探しに凧屋街へ。その後、カブールで最も大きい書店Shah M Bookで店主にインタビューを行う。ここは外国人御用達の書店でもあり、本の値段も安くはない。店主は外国人からお金を引き出し、それをアフガンの子どもたちに用立てているのだという。書店の2階には学生や子どもたちのための無料の閲覧室もあった。
「ストリートチルドレンが訪ねてきて本を読みたいと言ったら、その子も迎え入れるか?」 という質問に対して「もちろんだ」と答えていた。彼のその答えを信じたい。
次いで向かったのはアスマイ山とよばれる斜面に立つ町だ。斜面に建った家に人々が生活している。路には汚水が流れ、ゴミや排泄物が堆積され、あたりにひどい悪臭がただよう。国内難民キャンプとはまた別の貧困と悲惨さ、カブールの見放された人々の姿がここにもあった。※[雑感録]参照→

●10月23日(日)ラマダン20日目
再度、映画のロケハンのためカブール郊外へ向かう。目的地は最初のキャラバンで訪れたデ・サバス(Deh Sabaz)だ。
デ・サバスとは「緑の村」を意味する。映画の撮影地としては最適なのだが、現在ISAF (国際治安支援部隊)に属すアフガニスタン軍の訓練地でもあるため、撮影は難しいかもしれない。
デ・サバスの荒野にある洞窟に案内される。この辺りはむかしから"Dead Mountain(死の山)"とよばれ、ここに来た者は二度と生きては帰れないという言い伝えがあった。その言い伝えを裏書きするような悲劇は起きた。2001年、米軍がこの洞窟に潜んでいたタリバン兵を襲撃したのだ。数発の爆撃をしかけた後、洞窟内に毒ガスを撒き、敵が逃走できないよう洞窟の入口を塞いだ。襲撃後、洞窟からは125名の老若入りまじったタリバン兵の死体が発見されたという。
洞窟はいまでも爆破された当時のまま残され、米軍やアフガニスタン軍の偵察が現在もつづく。実際、洞窟の奥につづく砂道には無数の靴跡とジープのタイヤの跡が残されていた。そのほとんどは最近のものだ。

この日、早朝に2度目の大地震が発生。アフガニスタンの南部パクティア州が襲われ、500人以上の死傷者を出したと報道される。

●10月24日(月)ラマダン21日目
再度、デ・サバスへ。荒野を車で進むなか、来春実施予定の国内難民の移住地の一つをみる。細かく区画された荒れ地のほか、一帯に見えるのは遠くのレンガ工場ぐらいだ。来春以降、人が新しく住みはじめる光景とはにわかには信じがたい。
政府は区画地に井戸を掘って水を確保させるという話しだが、学校や病院を整えるという発想はあるのだろうか? この荒涼とした土地に立って眺めているだけでは、子どもたちの未来も計画もまったく見えてはこなかった。※[雑感録]参照→

●10月25日(火)ラマダン22日目
絵本の贈呈と「エルタマス基金」の子どもの選出のためにワイセラバード・キャンプへ。ここは3年以上前に帰還してきた人々の定住地となりつつあるため、すでに国内難民キャンプとはよべない風情だ。子どもたちのたたずまいがカルガイやダルラマンの子どもたちに比べて穏やかなのは、そのせいもあるかもしれない。
ここは前回のキャラバンで再訪できなかったため、今回、絵本を届けたいと考えた。キャンプの子どもたちと会うのは「子ども週間」の劇場上映に次いで2回目だ。
絵本は全部で54冊、管理をアシアナの担当者に託す。
ここは定住化されているため、来春の移住計画によって住民が他所へ移されることはない。子どもたちもアシアナの世話の行き届く範囲にいるため「エルタマス基金」の子どもを選ぶのにも適している。そこで、今回は男女1人ずつの子どもをこのキャンプから選んだ。
男の子の名前はサフィウッラー(10歳)、女の子はパルワシャ(11歳)だ。



サフィウッラーには繊細さ、パルワシャには利発さがあった。2人の父親はすでに亡くなっているため、サフィウッラーは母親と姉2人、パルワシャは母親と11人兄弟姉妹と暮らしている。
彼らはともにかつて水売りをした経験をもち、現在アシアナの運営する教室に通っているが、正規の学校には通ったことがない。ちなみにサフィウッラーの将来の夢は医者になること、パルワシャの好きなことはサッカーや縄跳びなどのスポーツだ。

●10月26日(水)ラマダン23日目
映画のテスト撮影1日目。映画の主役となる少女はアミナ・フッセインという9歳の女の子、教師はジャベド・コチェイという青年だ。タジク人のアミナはあどけなさを残すお茶目な少女だ。子ども特有の天真爛漫さがあり、よく笑い、おしゃべりで、あちこちを飛びまわる。アミナに父親はいない。小さな妹とお母さんの3人暮らしだ。教師役のジャベトは寡黙なパシュトーン人の青年で、クチ(ジプシー)の出身だ。2人とも演技経験のまったくない素人だが、思い思いに撮影を楽しんでいた。

日の出のシーンを撮るため、朝4時にデ・サバスへ出発。デ・サバスの洞窟で撮影の途中、ISAF管轄の警察によって撮影を中止させられる。一帯は軍事訓練所として利用されているので、撮影には国防省の許可が必要だという。懸念していたとおりだ。許可には数カ月かかるというが、実際は袖の下なしでは許可が下りないというのが現実のようだ。
しかし撮影地は見渡すかぎりの荒野で、車もめったに通らない場所だというのに、どうやってわたしたちの撮影をかぎつけたのか。ここが常に監視されている場所であることをあらためて知る。

●10月27日(木)ラマダン24日目
テスト撮影2日目。凧揚げのシーンや亡霊たちの歩くシーンなど、荒野で数カットの映像を撮影する。この日はエルタマスも撮影に参加し、カメラマンの助手として三脚を運んでくれた。
長時間の荒野での撮影のため、水を多めに持参してきたが、すぐになくなる。容赦なく照りつける日射し、吹きつける土埃、激しい乾燥、太陽の光から隠れる影さえ見当たらない。身体の内も外も乾ききってしまうかのようだ。荒野の掟の厳しさがここにはある。

●10月28日(金)ラマダン25日目
すべての活動を終えたこの日、わたしたちはお世話になったアシアナの仲間を迎えて送別会を催すことにした。会場はわたしたちの宿泊先でもあるアシアナ・センターの広間だ。テーブルや椅子、食器などをレンタルし、カバブ(バーベキュー)を焼く職人に来てもらい、テーブルには花を飾った。準備がすべて整った頃、招待客が到着。代表のユーソフ氏をはじめ、各キャンプの担当者や今回の活動に係わってくれた人々、そして新しい仲間となったサフィウッラーとパルワシャも来た。
ユーソフ氏の5人の子どもたちやエルタマスの母親も加わる。エルタマスの母親はラマダン中、わたしたちの昼食を作りに来てくれていたのだ。送別会は関係者への感謝の言葉からはじまった。




本日はわたしたちの夕食会にお越し頂き、ありがとうございます。
なによりもまず、みなさんに、「ありがとう」をいわせて下さい。
あなたたちの協力によって、わたしたちは様々な活動を実現できました。
ファンタジー劇場キャラバン、靴や絵本の贈呈、
「カブールの幽霊」展の開催、劇場での上映会、「エルタマス基金」の新しい仲間たちとの出会い、
そして自主制作映画のテスト撮影です。
わたしたちは小さなNGOです。
大きな力はありません。
厳しい環境に生きる子どもたちのために、なにかをする真摯さがあるだけです。
けれど、わたしたちは信じています。
この真摯さこそが、未来によりよいものを運んでくることを。
わたしたちはこの前進をあきらめません。
たとえ、それが苦しい前進だとしても……。
あなたたちもどうか、あなたたちの前進を止めないで下さい。
ともに子どもたちのために進みましょう。
それはとりもなおさず、わたしたちの未来のためでもあります。
ゆっくり、少しずつ、よくなるように。


サフィウッラーとパルワシャは初めての体験に緊張していたが、すぐにユーソフ氏の子どもたちと遊びだした。戸惑いながらも楽しいひとときを過ごせたようだ。
帰り際、2人にテーブルに飾ってあった花を包んで渡すと、「タシャクル」とうれしそうにささやいた。
参加した大人たちにしても、このような大がかりなもてなしは予期していなかったようだ。感謝の言葉を何度も伝えてくれた。
「Like Water Pressはいままで会ってきたNGOとはどこかちがいます。あなたたちと行動を共にしたことで初めての体験をし、色々と考えさせられました」とも語ってくれる。
彼らがなにかを見ようとしてくれたのはたしかだ。わたしたちの活動を通して、アフガニスタンの大人たちがなにかを感じたり考えたりしてくれるならば本望だ。因習に縛られたこの社会のなかで、彼らに最初の一歩を踏ませるなにかを与えることができるのならば……。
別れ際、別れを惜しみながら、心のこもった握手を一人ひとりと交わした。

●10月29日(土)ラマダン26日目
帰国日。午後5時、一カ月の旅を終えたわたしたちを乗せ、飛行機はカブール空港を発った。