京都

2011. 2. 2〜2.12
京都市国際交流会館
[姉妹都市コーナー展示室]


子どもたちの眼差し
京都市国際交流会館は2007年に開催した「カブールの幽霊展」に次いで2回目。展示画数は前回の約半分ですが、その分、空間に余裕が生まれ、シンプルかつ洗練された演出となりました。前回来場された方々からも「物語にフォーカスされたことで絵がより理解できる」「背景の物語を知ることでダイレクトに伝わる」などの好評を得ました。
そして、京都の展覧会で最も印象的だったのは子どもたちの反応でした。ある日、館内の図書館に来ていたボーイスカウトの子どもたちが会場を満たしました。人数は20人くらい、年齢は小学校低学年から中学年といったところでしょうか。最初に少年たちにアフガニスタンという国の位置とその情勢を大まかに説明した後、アフガンの子どもたちの絵を見てもらうことにしました。物語には漢字もあるため、物語を読むか読まないかは子どもたち個々の能力と意志次第です。
最初は「なんだ〜、これ?」と笑っていたのに物語を読んでいるうちにだんだん真剣になっていく子、「オレ、この幽霊が好きだな」と無邪気に伝えてくる子、物語を読むのに熱心で集団から徐々に離れていく子など、さまざまです。これら子どもたちの反応に触発され、会場に設置していたドキュメンタリー映像を上映することにしました。それは2005年当時のカブールとその子どもたちを映し出しながら「なぜカブールの幽霊か?」を解説する約10分の映像です。
映像が始まると同時に子どもたちのあいだに緊張感が走り、その眼は映像を喰い入るように見つめていました。上映後、「もっと見たいな…」と、友だちにソッとつぶやく少年の声が聞こえてきました。




その週の土曜日、一人の男の子がやって来て「こんにちは」と懐かしげに挨拶をしてきました。付き添われた母親が「先日、ボーイスカウトで…」と口添えして下さって合点がいきました。この少年はあのボーイスカウトの一人だったのです!
「あの日、この子は家に帰って来てから、このチラシを見せて、ずっーと、"カブールの幽霊、カブールの幽霊"と言い続けっぱなしで、わたしたちはなんのことだかサッパリ。でも、そんなに言うなら一度一緒に見に行こうってことになりまして…」。
実際、わたしたちは「カブールの幽霊」をもっと多くの子どもたちに見てもらいたいのですが、なかなかその機会に恵まれません。小さい子どもにとって日常生活の枠外にあるものは親=大人の物差しで振り分けられてしまいがちで、展覧会などはその典型です。「幽霊」や「アフガニスタン」というキーワードが親=大人たちから敬遠されるのでしょうか、わたしたちの展覧会には子どもの来場者が少ないのです。
だからこそ、あえて自分の子どもを連れて来る親御さん、ことに若い親御さんの意志や選択に感心させられたり励まされたりもするのです。一方で、この少年のように「大人を連れて来る子ども」にも出会います。こういう子どもたちほど、わたしたちを勇気づけてくれる存在はありません。同時に彼らの意志を尊重できる親=大人の存在も知らされ、敬意と希望を抱かされるのです。彼らに出会う度に「参った!」と唸らせられるほどの愛おしさが身体中にみなぎり、喜びが駆け巡り、力が湧き出て、芯からウキウキしてしまいます。この時もそうでした。
少年は7歳、読めない漢字もあるだろうと朗読を提案すると「自分で読めるから大丈夫」とキッパリはねつけ、熱心にじっくりと絵と物語に対していました。お母さん曰く「あの子は絵を描くことや本を読むのが大好きで、おそらく読めない漢字は自分の想像力で補っているのでしょう。放って置いたら、きっと、あの子は一日中ここで、ああして絵をずっと見ているでしょうね」とのこと。そうなのです、子どもは想像力という賜物を持っていて、この少年はその賜物を存分に発揮しているのです。そして、その少年の賜物を育むために彼の気の済むまで会場で待っていようとするご両親の姿も印象的でした。
この少年より小さくて字を知らない子でも、手をつないだり抱き上げたりしながらユーモラスな絵の物語を読んであげると、キャッキャッと愉快がって「もっと!」とせがみます。なかには親に連れられてきても会話を交わす機会の持てなかった子もいますが、会場に設置していた<感想ノート>に書きつづられた子どものメッセージを読んで、その子なりの独特な感受性を受けとめることもできました。
これらの子どもたちの反応には絵だけの展示ではみられなかった積極的な関わりあい方がありました。これもまた「物語展」ならではの結果だと気づかされます。




わたしたちのだれもが出自を選べないと同時に、幼少時の人的環境も選択できません。しかし時代や人的環境に関わらず、子どもたちならではの資質というものがあります。アフガニスタンでもそうでしたが、このような子どもたちならではの資質----飽くなき好奇心と探究心、あふれる想像力、出し惜しみしない気前よさ、世界をありのままに受けとめる単純明快で公平な感性(正しさでもあり残酷さにもなる)、そして突き抜けるような喜びの発露-----に触れると、こちらも彼らのシンプルな視点で世界を見直せるような気がします。そして「成熟する」というのは、この子どもの資質を取り戻し、"自らなりたい子ども"になることではないか…、というような思いが頭をかすめたりもしたのでした。(つづく→)



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