大阪

2011. 2. 16〜2.25
ギャラリーうずめ


「寝た子を起こす」展覧会
大阪での展示画数は約60点。京都の会場環境とは一変し、天神橋筋界隈にある町家のギャラリー周辺は夜に賑わいを見せる場所にありました。ここはまたわたしたちの宿ともなり、「カブールの幽霊」たちとの共同生活、日常生活を織り交ぜながらの展覧会が始まりました。
展覧会には実にさまざまな方が来場されます。好意的・肯定的に受け止められる方がいる一方で、批判的だったり無関心さをあらわにしたり、またわたしたちの試みに疑問を呈する方もいて、不愉快な思いを隠せないこともままあります。しかし不愉快な思いや体験も無為ではありません。それらのやり取りの中で改めて考えさせられ、わたしたちの思想を肉付けさせてくれる機会ともなるからです。このようにさまざまな側面からの反応を得ることができるのも常駐する展覧会の醍醐味ともいえ、わたしたちがそれにこだわる理由でもあります。



たとえば、大阪では次のような人びとが来場しました。アベックで来場し、会場の入口で「怖いですか?」とあらかじめ尋ねる男性。「怖いとは何を指すのですか?」と尋ねると、「衝撃的なようなもの、かな」という返事。「では、こういう絵があなたにとって怖い絵なのですか?」と銃殺を目撃した少年の絵を示すと、連れの女性と小声で話して「やっぱり帰ります」とそのまま出て行きました。
そして一組の老夫妻。「わたしは絵を嗜むんでね」と自ら名乗って鷹揚にかまえる夫君の目は子どもたちの絵の上をなぞるだけで、絵を見てはいませんでした。アフガニスタンも子どもの絵や物語も彼には無用の長物なのでしょう、ドキュメンタリー映像を鑑賞中の妻君を急き立てて出ていきました。ほかにも会場の光景をデジカメで写していると個人情報を持ち出して写真削除を申し立てる女性。「美しいものってなんですか?」と尋ねる一方で自らの「美」の定義にこだわる青年。「企画自体は素晴らしいが、結局これらはアートではない」と言い放つ男性など。「美」や「アート」を定義づけようとすること自体、「幸福ってなに?」というのと同じくらい無為な行為ではないでしょうか。
これらの人びとに一様にして感じられたのは傲慢さでした。あまりにも自己中心的発想で子どもたちの絵に対しているのです。自分の世界を頑なに固持するために、知らない世界、知らない人びとを切り捨ててしまう傲慢さ…自分の知っている世界や文化以外は受け付けようとしない体質の人びとの感性の鈍さに唖然とし、その度に苛立ちや苦い思いを噛みしめました。
一方で、こういう問いかけもありました。その男性は一表現者として、子どもたちの絵を非常に興味深く受けとめたのですが、ドキュメンタリー映像を見て「子どもの絵だけを見ていれば幸せなのに、なぜその背景をわざわざ知らせる必要があるのか? しかも、なぜ日本ではなく海外の悲惨さを持ち込むのか?」と問うのです。鎖国以前の中世の日本を例えにして。
「寝た子を起こすな」「見ぬもの清し」「知らぬが仏」「見ざる聞かざる言わざる」という諺が頭の中に次々と浮かびました。たしかに世の中には知らないほうが身のためということはあります。不必要なことをして逆効果が生じることもあるでしょう。しかし、その反対に知ってしまったら放置しておいてはいけないこともあるはずです。
ちなみに「寝た子を起こす」の表現は明治から大正期にかけて発生したとされ、その背景には部落問題の社会問題化および部落民衆の社会的立場の自覚がありました。 おそらく彼は「なにも知らない人にわざわざ問題の所在を知らせる必要はなく、そっとしておけばいいのに。その様を見れば気の毒だし、聞けば心も痛むのが人情だ」というようなことを伝えたかったのでしょう。しかし、ここに欠落しているのは問題の渦中にある人間への視点です。彼らの存在を最初から無視する見方です。弱者を「気の毒」といいつつ、その実「我々」の世界を守るために「他者」としての彼らの存在を「毒」として見なし、切り捨てるのにも等しい安易で危険な発想です。
「カブールの幽霊・物語展」はこのような発想の反対に位置するものとして、まさしく「寝た子を起こす」展覧会として存在するのだ、と思わされた体験でした。


蒔いた種からのエール
一方で嬉しい体験、喜ばしい体験もありました。なかでも驚きをもって迎えたのが、エルタマスからのメールです。わたしたちの教育支援活動の一つ[エルタマス基金]としてその名を冠した少女からで、彼女が13歳の時にカブールで出会いました。 展覧会開始2日目の朝、携帯に届いた一通のメール、差出人に"Eltamas Sadaat"とあります。「あの、懐かしいエルタマスだ!」。2007年に首都カブールで自爆テロに巻き込まれて以来、現地での活動を休止しているためエルタマスに再会することも叶わず、その翌年には音信も途絶えさせてしまっていたのです。エルタマスもわたしたちの連絡先をなくしてしまい、ようやく名刺を見つけ出したというのです。そこに記載されていたパソコンのメルアドに届いた彼女のメールが携帯に転送されてきたのでした。その前夜、わたしたちもエルタマスの写真を見つめながら、「いま頃、どこで、どうしているだろう?」と思いを馳せていたという、あまりにも偶然な巡り合わせに不思議な感覚を味わいました。以心伝心、テレパシー、奇跡的…、どんな表現でもかまいません。そして、互いが同時に思いを向け合う瞬間に生じる不可視の波動や引力というものは実際ままあるものです。
かくしてエルタマスは18歳になり、今年高校を卒業し、英語の先生になるために大学を目指しているそうです。最初の頃は通訳が必要だったのが、いまやエルタマスも自分の携帯を持ち、英語を使って自分の意志でメッセージを伝えてきました。彼女はわたしたちを忘れたことがなく、恋しく思い出し、再会を諦めていなかったのです。年月は過去や日々を風化させますが、時が刻むものには成長や成熟というものもあるのだ、という思いを改めて抱かされました。大海の一滴ともいえるような《ファンタジー劇場キャラバン》の活動で「蒔いた夢の種」が、いま一つ芽を出して自ら育もうとしている…、その事実は「夢の種」の恩恵のようにわたしたちに温かな歓びをもたらしました。




たくさんの新しい出会い
こんな出会いもありました。開催3日目にわたしたちの会員の奥様が兵庫県から駆けつけて下さったのです。会員である夫君に代わってのご来場でした。奥様とは初対面ですが、かけて下さる言葉の端々に夫君同様わたしたちの活動を見守り続けて下さったことが伝わりました。戦中・戦後を生き抜かれた体験がアフガニスタンで生きる子どもたちへの自然な共感となって現れるのでしょう、子どもたちの絵に描かれた不安と恐怖にため息をつかれる一方で、慰撫するような視線を注がれていました。
また展覧会後半に一度来場され、最終日に10歳の息子さんを伴われて再来場して下さった女性もいました。和歌山の全寮制の学校に通われている息子さんが週末に実家(三重県)に帰省するため、駅で迎えた息子さんの意向を聞いて本人が望めば真っすぐここへ来るという約束になっていたのです。はたして少年は「カブールの幽霊」を見ることを望み、ここでもまた「大人を連れて来る子ども」と出会うことになりました。そして少年の選択肢と絵に対する彼の反応が、わたしたちとその母親に共有する歓びと勇気を与えてくれたのでした。



また展覧会最終日には、大阪西成区の「釜ヶ崎」で活動を展開するNPO法人「こえとことばとこころの部屋」(以下ココルーム)のスタッフの男性が訪れました。子どもたちの絵と言葉への共感を伝えられ、同時に日本最大のドヤ街として知られる釜ヶ崎の実態を聞くうち、そこに住む人びとがアフガンの子どもたちの幽霊をどのように捉えるのか、その声を聞いてみたいと思わされたのでした。相談の結果、NPO法人ココルームの協力を得て「カブールの幽霊・物語展 in 釜ヶ崎」の開催が決定されました。


ほかにも大阪では10年、20年ぶりといった友人との再会も果たされ、その邂逅から新たにつながる縁も生まれました。このように京都・大阪ともに「カブールの幽霊」は縁結びの神様にして、縁取り返しの神様ではないかと思わされるほど、展覧会を通して多くの方々と新たに出会い、再び出会い直し、彼らと実に多くの思いを共有する機会を授けられたのでした。(つづく→)



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