●はじめに

2001年の9.11テロ事件から6年の月日がたちました。
……9・11テロと、それに続くアフガニスタン戦争から間もなく6年になる。国際社会から巨額の援助資金が注ぎ込まれ、アフガンの復興はそれなりに進んだ。このショマリ平原でも学校や住宅が再建され、幹線道路が整備された。道路に沿って高圧送電線が延び、年内には中央アジアのウズベキスタンからカブールへの送電が始まる。首都周辺の電力事情は格段に改善されるはずだ。しかし、幹線道路から農村部に足を踏み入れると、乾ききった大地が広がっている。農民の命を支え、畑を潤す地下水路の多くがまだ壊れたままなのだ。
「みんなで金を出し合って、やっと1本だけ水路を修復した。政府の支援はまったくない」。村の長老、サルワル・ダウゼさん(55)は嘆いた。都市と都市を結ぶ「線の復興」から、農村部という「面の復興」に取りかからなければならないのだが、資金が回ってこず、思うように進んでいない。
治安の悪化もひどい。昨年から旧支配勢力のタリバーンが勢いを盛り返し、アフガンの国軍や警察、国際治安支援部隊への自爆テロ攻撃が激増した。外国人を狙った襲撃事件も頻発している。韓国人23人が拉致され、引率者らが殺害された事件も、2人が解放されたが、解決のめどが立たない。
援助機関のスタッフが国内を自由に動き回ることができなくなり、復興がさらに停滞することは避けられまい。農村部の復興の遅れがタリバーンにつけいるすきを与え、治安の悪化が復興を妨げるという悪循環に陥りつつある。
(2007年8月20日付 朝日新聞/社説:「アフガン 復興をもう一度軌道に」より)

7月19日に発生したタリバンによる韓国人拉致事件も、身代金と「駐留韓国軍の年末までの完全撤退」の声明などの条件の下、43日目に全面解決をしました。約1カ月前の6月17日には警察学校のバスを狙った自爆テロ事件が発生し、現地でキャラバンを展開していたわたしたちLike Water Pressが巻き添えに遭ったことは既に聞き及びの方もいるかと思います。皆様にご心配をおかけしたことを、ここにお詫び申し上げます。

事件は、現地時間の6月17日(日曜日)午前8時過ぎにカブールの中心街で発生しました。狙われた警察のバスからわずか5mほどしか離れていなかった至近距離での爆発にもかかわらず、搭乗者全員の命に別状がなかったことを心から感謝しております。また、この事件を受けて大きなご心労を受けたにもかかわらず、キャラバン・ツアーに参加された皆様が終始、気丈かつ冷静にご対応下さったこと、さらに事件の対応にご尽力下さった在アフガニスタン日本大使館員の方々にもここに改めて謝意を捧げます。
6月のキャラバン・ツアーの日程は8日〜22日の2週間を予定していました。このように外の方々にツアーの参加を呼びかけたのも、わたしたちには初めての試みでした。
2006年からアフガニスタンでは再び不穏な空気が漂いはじめていましたが、その状況を受けて、わたしたちもキャラバンを控え、「カブールの幽霊展」と題して国内各地でアフガンの子どもたちが描いた幽霊の絵の展覧会を各地で展開していました。こうして1年半以上ものあいだ様子を見てきましたが、 アフガニスタンの情勢が悪化もしくは好転するかは未知数のままでした。そこで、「このまま活危険だから動しないわけにはいかない」という判断の下、今年6月、本格的な暑気に見舞われる前にキャラバンを実行することに決定した次第です。今回、ツアーに参加された皆様も、わたしたちのその判断を踏まえた上でご同行下さったのは言うまでもありません。
実際、今年4月に参加を募り始めた時点で、在アフガニスタン日本大使館の方から電話を受け、ツアー日程の確認および注意勧告等を受けました。その点については渡航前のオリエンテーションで参加者の方々からも同意を頂き、結果、計7名の参加者となりました。こうして今回のキャラバンは、Like Water Pressのスタッフ5名と合わせて計12名ではじまりましたが、うち3名は諸事情のために1週間後の14日に帰国され、後半1週間は9名での行動となりました。
現場での日程としては、6月8日にパキスタンのイスラマバードに到着、翌9日にカイバル峠を越えて陸路でカブールに向かいました。到着翌日には在アフガニスタン大使館に出向き、ツアー参加者の情報と我々の日程を担当官の方に伝え、同時に再度にわたって注意勧告を受けました。特に強く注意されたのはカブールからバーミヤンへの移動です。当初、我々は陸路での移動を考えており、その点を再検討してほしいとのことでした。
その指摘も判断の一つとなりましたが、バーミヤン帰省後に予定していたメイン・イベン ト「子ども週間/Children’s Week Kabul」(ファンタジー映像の上映&カブールの幽霊展)の準備にかかる時間も考慮し、結果的にバーミヤン行きを断念することにしました。
カブールでは、まずバグダウ(Bagh-e-Dawoo)国内避難民キャンプでファンタジー映像の上映と靴のプレゼントを子どもたちに向けて実施しました。その後、17日から5日間に渡 ってアフガニスタン国立美術館(Afghan National Gallery)で開催予定のイベント「子ども週間/Children’s Week Kabul」の準備にかかりました。この展覧会は、アフガニスタン国立美術館、アフガニスタン情報文化省(Ministry Information and Culture Afghanistan)、現地NGOのアシアナ(ASCHIANA)との共同プロジェクトとして計画されたものです。




事件発生の17日朝は、その「子ども週間」の開催予定日であり、記者会見とオープニング ・パーティーが予定されていました。その展覧会場に向かう途中、わたしたちは2台のミニバンに分乗しましたが、その1台が今回の自爆テロ事件に巻き込まれた次第です。もう1台は、わたしたちの記者会見に臨む予定だったエルタマス(学資支援している少女)を迎えに別行動をとっていました。
被害を受けたミニバンには日本人2名、在日韓国人1名、パキスタン人スタッフ2名、およびドライバーとしてアフガニスタン人1名が搭乗していました。スタッフの日本人女性はかすり傷、在日韓国人男性は右耳に裂傷を負い、パキスタン人スタッフ2名とアフガニスタン人ドライバー、そして今回ツアーに参加された日本人男性1名がそれぞれに重傷を負いました。重傷を負われた日本人男性の方の容態の初診は全身打撲、右側上腕部骨折、及び切り傷でした。現地病院で手術を受けられた後、カブール空港の敷地内にあるISAF(国際治安支援部隊)付属の病院に移送されて容態をみていましたが、6月25日に小型機で搬送され、日本に帰国。3週間の集中治療の後に退院され、現在はリハビリに通院中です。
事件後、その方と奥様をサポートをするため、Like Water Pressのスタッフ2名(日本人1名とパキスタン人1名)は帰国を延期して25日に帰国、その他のメンバーは一足先の21日に成田に帰国しました。事件の背景および現場の状況については、事件発生から数日に渡って報道された各メディアの記事をHP上に掲載しておりますので、ご参照下さい。

今回の事件に巻き込まれたこと、そして、その後に予定していたカブールでの「子ども週間/Children’s Week Kabul」を断念せざるをえなかったことは残念でなりません。しかし、「カブールの幽霊展」については約1週間の延期が決定となり、その運営をアフガニスタン国立美術、アフガニスタン情報文化省、そしてアシアナの方々の手に委ねて参りました。
以上がキャラバンの大まかな内容となりますが、自爆テロ事件に巻き込まれたことで、わたしたちがアフガニスタンでの活動を諦めることはありません。どのような形であろうと、<真摯な眼差し>をした子どもたちが、わたしたちのファンタジー映像を見る機会を待っているかぎり、この活動を続けて参ります。
但し今回の事件によって受けた体験と教訓を通して、今後の活動のあり方を再検討しつつ前進する所存です。殊に子どもたちを巻き添えにすることだけは避けなければなりません。アフガニスタンでのわたしたちの活動は直接子どもに対してのものであり、その子どもたちを巻き込む可能性を考慮するなかで、当面はアフガニスタンでの活動を控える必要があります。その再開の見通しにつきましては、キャラバンの予算が整った時点で、現地カウンター・パートナーである NGOアシアナの判断を仰ぎつつ決定したいと思います。
水的通信・第6号では、先に行なわれたキャラバンで印象に残ったこと、また自爆テロ事件に遭遇して改めて考えさせられたことなどを中心にお伝えいたします。


●1本の電話

「6月にツアーを募って、アフガニスタンに来られると聞いたのですが……」
次回予定の《ファンタジー劇場キャラバン》ツアーの出発2カ月前、1本の電話を受け取りました。在アフガニスタン日本国領事部からの電話です。
その頃、わたしたちは6月のキャラバンに向けて、「子どもたちの真摯な眼差しに触れてみませんか?」と、一般の方々にツアーの参加を募っていました。ツアーの期間は6月8日から22日の2週間、目的地はカブールとバーミヤンです。《ファンタジー劇場キ ャラバン》の活動に直接参加しながら、現地アフガニスタンの様子や、そこに生きる子どもたちの真摯な眼差しに触れていただければ、というのがツアーの趣旨でした。
チラシやHP、コミュニティー・サイトなどでツアーの参加者を募集したところ、治安の悪化が伝えられるアフガニスタンへの渡航に対する安全性への懸念や心配の言葉を多数受けました。2006年以降、旧支配勢力のタリバーンが勢いを盛り返し、アフガンの国軍や警察、国際治安支援部隊への自爆テロ攻撃が激増していたからです。その情勢を受けて、わたしたちもほぼ1年あまり、現地でのキャラバンを見合わせていましが、 ファンタジー映像と靴を待っている子どもたちがいるかぎり、キャラバンをこのまま延期しつづけるわけにはいきません。
アフガニスタンの情勢がさらに悪化する方向を案じればこそ、いまこそ《ファンタジー劇場キャラバン》を実施するべきではないかと思い至ったのです。そしてもし、このキ ャラバンに参加して、子どもたちの真摯な眼差しに接してみたいと望まれる方がいるのであれば、 この機会に共に向かいたいと考えてのキャラバンへの参加募集でした。
冒頭の電話はそんな最中に受け取ったものです。参加者募集の情報をどこから得たかは明かしてくれませんでしたが、その意図は「可能ならば現時点でアフガニスタンでの活動を避けてほしい、少なくともNPO関係者以外の参加者の募集は控えてほしい」という注意を促すものです。それに対して、既にキャラバン・ツアーに申し出ている参加者がいること、さらに彼ら自身も現地情報を把握し、以下のわたしたちの安全対策を理解された上で参加の意志を示されていることなどを伝えたところ、領事部では一抹の危惧を残しつつも納得した様子でした。
1.現地カウンター・パートナーである現地NGOとの連携
2.在アフガニスタン日本大使館・領事部との情報交換
3.出発前のオリエンテーション---- 参加者の方々に日程の確認、現地行動における様々な留意点(危 険性と安全性の説明も含む)を伝え、最終的な相互理解と確認を得る。

●6月のキャラバンに先駆けて

とはいえ、2002年〜05年の情勢と比較して安全性に問題があるのは事実でしたし、わたしたちも慎重に対応する必要がありました。そこで6月のキャラバンに先駆け、ツア ーの事前準備と現地視察(治安の確認等)を兼ねて、急遽、短期キャラバン(第6回)を敢行することにしました。期間は2007年4月27日ー5月7日、わたしたちにとって約1年半ぶりのキャラバンです。
4月28日にパキスタン、イスラマバードに到着。翌29日に現地NGOのアシアナとフランス文化センターを訪問、30日にはバグダウ国内避難民キャンプ(Bagh-e-Dawoo IDP camp)に向かいました。このキャンプは2年前に設置されたカブールの西側にある国内避難民キャンプで、120家族中、子ども数は200人。その日はキャンプに設置された学校の子どもたちに会い、彼らから70枚の幽霊の絵を受け取りました。
キャンプの側には水量の多い川が流れ、水辺で人々が洗濯をしたり、子どもたちが遊んだりする様はかつて訪れた国内避難民キャンプとはまったく違う環境を呈していました。水の側に住んでいることが、のどかな印象を与えたのはいうまでもありません。
《ファンタジー劇場キャラバン》の実施は5月2日と3日、前回のキャラバンと同様、 フランス文化センターの市民ホールを2日間借り切って子どもたちを招きました。2日はバグダウ国内避難民キャンプから200人、カルガイ国内避難民キャンプから100人、サラングワット学校(カブール市内)から100人。3日はダルラマン国内避難民キャンプから90人、サラングワット学校から185人、計約700人の子どもたちにファンタジ ー映像を上映したのです。2日の午後には翌日のファンタジー上映会のチケットを配布するため、車にスピーカーとジェネレータを積んで即席宣伝カーを作り、アシアナの生徒と先生と共に街に繰り出しました。宣伝を呼びかける役目を任せられた子どもたちは、実に生き生きと巧みにその仕事をやり遂げていました。
           一方、このキャラバンではもう一つ大きな目的がありました。アフガニスタン国立美術館を訪問し、次回キャラバンで「子ども週間」(ファンタジー映像の上映&カブールの幽霊展)の開催を相談することでした。内戦時代とタリバン政権時代にわたって、アフガニスタンでは80%の文化・教育施設が破壊されましたが、国立美術館も国立博物館と共に大きな破損を被り、旧タリバン政権によって長らく閉鎖されていました。2002 年、カルザイ政権によって再開された当時、その設備は50%ほどしかなく、その復元に着手したのがアメリカ人でした。その後はギリシア人の協力を得て、ここ数年で100 %の復元がなされていること、その間に62もの展覧会も開催されたそうです。
カブールにおける唯一の美術館でもあり、この歴史的建造物で「子ども週間」を実現することはアフガンの人々に自国の子どもたちへの関心を与え、ひいてはわたしたちの活動の意義を示す好機ともなると、わたしたちは確信していました。そこで美術館と交渉した結果、アフガニスタン国立美術館、NGOアシアナ、そしてアフガニスタン情報文化省との共同プロジェクトとして、5日間に渡る「子ども週間」の開催が決定しました。
このプロジェクトを遂行させること、またカブールの街がわたしたちが見たところ最も静閑を呈していたこと、これらの理由から6月のキャラバンを予定通り敢行することを見定め、短期キャラバン隊はカブールを発ち、成田への帰路に着いたのでした。

●陸路で行く

そして迎えた6月8日、わたしたちは第7回目の《ファンタジー劇場キャラバン》に出発しました。スタッフ2名、ツアー参加者7名の計9名の団体です。翌9日にはイスラマバードからカイバル峠を越えて陸路でカブールに向かいました。
カブールへは現在のところ3つのルートがあります。一つはアラビア半島のドバイから空路で入るルート。もう一つはパキスタンのイスラマバードから空路で入るルート。そしてイスラマバードからペシャワールを経て、カイバル峠を越えて陸路で入るルート。最近では、空路の方が早くて安全だという理由で陸路はあまり選ばれません。わたしたちも、当初はイスラマバードから空路でカブールへ行くルートを設定していました。なによりもツアー参加者の皆さんの不安を少なくするためにです。
しかし同時に、わたしたちは、参加者の方に陸路の美しい風土を体験してもらいたいとも思っていました。点と点をつなぐだけの旅ではアフガニスタンという国を汲み取るには限界があります。カブールという都市だけではなく、美しい田園の様子を実感してこそ、アフガニスタンにおける悲惨さがより明確に浮かび上がるだろうとも考えたのです。結果、参加者の同意も得て、敢えて陸路で行くことを選ぶことにしました。事前のキャラバンで陸路を利用したときに危険性を感じなかったことに加え、ペシャワールとカブールを結ぶ道路が整備されて快適なドライブになると判断したからでもあります。
ぺシャワールからアフガニスタンに入る国境の町トルハムを越え、ジャララバードを経由してカブールまでのドライブは約6時間。途中の休憩なども計算に入れると、約8時間の旅程となります。ペシャワールから国境の町トルハムまでに至るカイバル峠はいわゆるトライバルエリアと呼ばれ、パキスタンに属すも治外法権的地域であり、パシュトゥーン人によって自治されています。通行には自治政府の許可が必要で、その手続き自体は簡単なのですが、ここで問題が生じました。つい最近、アフガニスタンと韓国政府との取り決めで、韓国籍のパスポートを持っている者はトライバルエリアの通行ができなくなったというのです。韓国籍のパスポートを持っている者は空路で行くしかない、ともいわれました。
わたしたちのグループには2名の在日韓国人がいて、韓国籍のパスポートを所有しています。その2名だけ空路で行くことも覚悟したが、トライバルエリアに住んでいるパシ ュトーン人の友人が「大丈夫だ」と請負ってくれました。自治政府に申告しなければいいというのです。許可をもらっている団体の中に1人2人、無許可の者が混じっていても問題はない、国境のパスポート検査官は自治政府の者ではなく、パキスタン政府の役人だから韓国籍のパスポートも問題ないというのです。半信半疑でしたが、結局、友人の言う通り問題なくアフガニスタンに入国できました。彼の根回しのおかげでもありましたが、少なくとも当時はまだ韓国籍を持つ者の通行許可には抜け道はありました。
しかし、こうした体験はわたしたちには微妙なものです。そもそも<国>とは何か? 在日韓国人であることは、文字通りの意味での韓国人ではありません。ただパスポートが韓国籍というだけで、韓国語も話せなければ、辛い韓国料理を食べられない者もいるわけです。だからといって、彼らは日本人でもありません。では、どこに属しているのだと問われれば、彼らは「異邦人」と答えるしかありません。そういう感覚を持ち続けて生きてきた者にとって、トライバルエリアでの対応は当惑する以外のなにものでもありませんでした。国によって人を選別する、あるいは自由を制限する。これが法というものの実際なのだと改めて実感させられます。とはいえ、そういう法は無意味であることも露呈していました。なぜなら実際には問題なくトライバルエリアを通過できたのですから。法を設けてそれを押しつける体制と、実感に基づいてそれを無視してもよいと判断する人々の間にある乖離。文明国と発展途上国との社会背景の違いにもよるのでし ょうが、何もかもを法の名の下で判断しようとする社会で生きている者にとって、そういう彼らの融通性、すなわち心の自由さが新鮮な驚きをともなって心に残りました。
ちなみに、この人間的な融通性と体制的な法の厳格さという問題は、最近のタリバンによる韓国人グループの誘拐事件にも通じるように思えます。事件当初、韓国人グループを誘拐したタリバンの要求は「アフガニスタン政府の捕囚となっている同数のタリバンの釈放である」ということでしたが、体制的な法の厳格さの面でいえば、そんな要求はナンセンスです。たとえ人質を殺すと脅かされても、法の厳格さがそれを是認するわけにはいかないからです。したがって、タリバン側はアフガン政府の「人間的な融通性」に賭けるしかありません。人間的な融通性が法の厳格さを越えてタリバンを釈放するのを期待するしかないわけです。もし人間的な融通性によって彼らの望みが叶わなければ、タリバンは単なる殺人者の集団になってしまいます。しかし実際の解決としては、多額の身代金、そして既に決定していた「駐留韓国軍の年末までの完全撤退」の声明等にな ってしまいました。後者の要求はタリバン側の建前を立てたにすぎません。
わたしたちが今回のタリバンの行動に対して腹立たしく思うのは、まさにその一点です。タリバンという組織は、そういう法の厳格さの象徴ではなかったのか。世俗的な法であれ、宗教上の法であれ、彼らの信条はその法に対する厳格さにあり、それこそがタリバンのタリバンたる所為ではなかったのか。それゆえ女性に対して、あれほど無神経な取り決めや処遇を実践できたのではなかったのか。そういう法の厳格さを身を以て示してきたタリバンが、無関係な国外の人質を捕って人間的な融通性を求める行動をとっていること、これはあまりにも身勝手な方法と言わざるを得ないように思えます。
法の厳格さは体制・権力側に有利に働き、一方、人間的な融通性は常に弱者側を守るものでもあります。タリバンが人間的な融通性を求めるなら、なによりもまず彼らが法の名の下に切り捨ててきた弱者(特に女性)への謝罪と反省の意を表明すべきであるはずです。そうでなければ、彼らは単なる身勝手な殺人者集団でしかないと思えてなりません。

●第7回《ファンタジー劇場キャラバン》を終えて

今回のキャラバンの目的地は、4月同様、カブール郊外にあるバグダウ国内避難民キャンプでした。2005年に訪れたカブール市内の国内避難民キャンプは政府の方針で解体されることになり、わたしたちが訪れた時には既に住んでいた避難民たちも撤退を余儀なくされていたからです。このキャンプも元は軍事基地、軍隊の宿泊施設があったところです。キャンプに設置された学校の前には数十台の戦車が廃棄され、その周りは針金で張り巡らされていました。朽ち果てた戦車は以前にもあちこちで見てきましたが、こんなにも大量の戦車を間近で見たのは初めてです。
そんな環境下のキャンプ生活はどんなものか、数軒の暮らしぶりを見せてもらったところ、一つの建物に数戸の家族が収まり、各戸とも狭い空間に5〜6人ほどが寄り添って暮らしていました。冷たいコンクリートに絨毯を敷き詰め、布団や料理器具などの必要最低限の物資による生活です。周囲の環境は違えど、その劣悪な暮らしぶりはカブール市内で見た国内避難民キャンプの家族たちとなんら変わりのないものでした。
カブールの6月は日中の日射しも強く、乾燥も激しくなります。4月に訪れたときに見た川の水は干上がっていましたが、キャンプ周辺の水と緑に囲まれた環境は変わりません。キャンプから数分ほど車を走らせたところには山の雪解け水を利用したカレーズ(灌漑水路)が流れています。水は冷たく清らかで、水辺にはみずみずしいクレソンが茂 っていました。近くにはりんごの果樹園もあります。この長閑な光景と過酷なキャンプ生活の実態、それは人間対自然の乖離と残酷さ、人間社会の脆弱さと自然の強靭さの対比を物語るかのようでもありました。
さて、肝心のキャラバンですが、バグダウ国内避難民キャンプでは、わたしたちの不手際によってファンタジーの上映が日延べされる結果を招いてしまいました。第1回目のファンタジー映像の上映が予定されていたのは6月11日、しかし交通渋滞に巻き込まれて、キャンプへの到着が遅れたことで上映するのに十分な時間がありませんでした。翌12日は映像を投影する機器の不具合が起き、子どもたち一人一人の足の測定に切り替えました。今回のキャラバンでは子どもたちに靴を贈ることに決めていたので、それは本来の予定でもあったのです。
靴の測定には参加者の方々にも参加してもらいました。子どもたちを男女別々に順序よく並ばせ一人ずつ測定場所に行かせる人、いくつか用意されたサイズの靴を子どもの足に合わせて測定する人、順番を待つ間に子どもたちと遊んでくれる人、それらの姿を写真に納める人。そこに学校の先生の真摯さとそれに応える子どもたちの行儀の良さも手伝って、全員の連携プレーで手際よく測定を終えることができました。
その翌日の6月13日、ようやくファンタジー映像を子どもたちに上映することができました。子どもたちにとって、また「真摯な子どもたちの眼差し」を見るために参加された皆さんにとって、最も待ち望んでいた機会です。好奇心の度合いは個々ですが、映像を食い入るように見つめる子どもたちの瞳の美しさ、その強さは変わりません。とくに男の子たちの反応、映像に向ける集中力は際立っていました。上映後、前日に測定していた靴を参加者の方々から子どもたち一人ずつに手渡してもらいました。



こうして無事にファンタジー映像の上映と靴の贈呈は果たされましたが、今回の失敗の連続には反省させられました。もちろん、現場ではアクシデントはつきものです。それ以前にも数々の問題が発生し、その都度、その場で対処してきました。キャンプ内での大人からの横やりや、映像機器の故障などで上映が翌日に延期されたこともあります。しかし今回のようにわたしたち側の手落ちが重なったのは初めてのことでした。いずれの日も校舎の2つの部屋では男女別に子どもたちが辛抱強く待っていました。その都度、子どもたちには上映が延期される理由を伝えてきましたが、結果的には子どもたちにも参加者の方々にも「待つ」ことを強いてしまいました。
その中で、子どもたちから「また明日も会えるんだね」「楽しみにしているよ」という反応もありました。乾いた荒地で変化のない日々を暮らす子どもたちにとって、もう1日余計にわたしたちに会うことは煩わしさなどではなく、楽しく過ごせる時間が増えることでもあったのです。その言葉を聞いて、どれだけ救われる思いがしたことでしょう。どんな形でも自分たちに会いに来てくれる人がいる、このことが子どもたちの喜びになるのだと改めて思い知らされました。
一方、参加者の中にはわたしたちの手落ちを一仲間として理解して下さる方もいれば、子どもたちの立場を思えばこそ腑に落ちない感情を抱かれた方もいました。しかし、その3日間、誰もがキャンプの子どもたちと熱心に交流してくれたのはいうまでもありません。子どもたちの歌の歓迎にオカリナの演奏で応えて下さったK.Y.さん、子どもたちに誘われて一緒にダンスを踊ってくれたE.K.さん、静かに微笑みながら子どもたちを見守るN.T.さん、たとえ言葉は通じなくても、皆さん個々に真剣に子どもたちに対されていました。そして、彼ら一人一人に対する子どもたちの飽くなき好奇心は、熱い視線と高揚感として現されていました。そんな子どもたちの反応に初めて接した、参加者の女性のこんな言葉が思い出されます。
「笑い返すことができないほどの、その激しさに困惑した。」
その激しさは、常に渇いた状態にいる子どもたちの内に弾けた、一瞬の開放感と喜びではないでしょうか。

●「子ども週間 in カブール」の告知について

今回のキャラバンでは、アフガニスタン国立美術館での「第2回/子ども週間 」はメイン・イベントとして位置づけられていました。わたしたちとって初めてのアフガニスタンの公的機関との提携事業でもあったからです。「子ども週間」は6月17日〜21日の5日間に渡って開催される予定でした。イベントの実現にはあらかじめ準備しなければならないことがたくさんあったため、第7回目のキャラバン・ツアーに先立つこと1週間前、わたしたち仲間の2人は先行隊としてカブール入りしていました。
まず、イベントの詳細や分担を各機関や組織と決定しなくてはなりません。プロジェクトの位置づけは、主催:NPO法人Like Water Press、共催:アフガニスタン国立美術館、協賛:NGOアシアナ、後援:アフガニスタン情報文化省と決定されました。それにともなって国立美術館の館長や情報文化省の長官とも面談し、予定の細部が決定されました。その結果、記者会見とオープニング・パーティーを17日に定め、メディアへのアピールやオープニング・パーティーの招待状の発送は国立美術館が引き受け、わたしたちは招待状のデザインと印刷、そして一般の人々に向けて宣伝するためのポスターなどの手配を担当することになりました。
そこで、わたしたちは、バナー(垂れ幕)広告を作ることにしました。街の中心に巨大な垂れ幕を設置して、多くの人びとの注意を引きつけようと考えたのです。5m×2mの大判のバナーとその半分ほどのものを各2枚ずつを発注し、カブール市の許可を得てイベントの数日前に市街地中央の目抜き通りの2カ所に取り付けました。実際に取り付けてみると、予想したほどの迫力はありませんでしたが、それでも十分に人々の注意を引きつけるだけの効果はあるように思われました。
ただ、残念なことに、その効果はわずか1日しか続きませんでした。というのも、設置した翌々日にそのバナーは盗まれてしまったからです。ある人によれば、バナーはテント用の材料として最適なので、誰か必要な者が盗っていったのではないかとのこと。わたしたちの失望感や腹立だしさも大きく、臍をかむような思いでした。なかには警察に届けて追求すべきだという声もありましたが、もしテント用の材料云々のために盗られたという見方が正しければ、そういう使われ方もいいのではないかと、わたしたちは半ば苦笑しつつ諦めることにしました。以後、イベントのアピールはすべてメディアに頼るほかなくなりました。
ちなみに広告に関してはもう一つ提案がありました。新聞広告です。500USドルほどの予算でアフガニスタン有数の英字新聞の第1面の半ページほどのスペースが利用できるというのです。最初、わたしたちはそのアイデアに心動かされましたが、バナーの盗難という失敗例もあります。よく考えてみると、新聞広告に充てる予算があれば、もっと直接的に子どもたちの支援に使われるべきだと思うに至ったのです。
わたしたちは、ともすると、その場の雰囲気や目的にとらわれて、わたしたち本来の活動を見忘れがちになります。たしかに「子ども週間」というイベントには大きな意味がありますが、その成功・不成功の目安は、何人の人が見たかという催時的な数字だけではないと思い至ったのです。わたしたちは<夢の種>を蒔くだけでいい。それ以上の自 己満足的な行動に走りがちになると、わたしたち本来の役割を越えて虚栄の道に踏み込まなければならなくなるのではないか…、そういう意味で、今回は新聞広告を断念したのでした。

●女性問題について

キャラバンで嬉しかった出来事の一つは、わたしたちが学資支援をしているエルタマスに一年半ぶりに再会できたことです。カルガイ国内避難民キャンプで暮らしていたエルタマス一家も、既にキャンプから近くの平屋に移って、同じく母子家庭の家族とシェアして間借り生活を始めていました。15歳になったエルタマスは少女のあどけなさを残しつつも大人びた雰囲気を漂わせていました。外見だけではありません。彼女の英語も目を見張るほど上達していたのです。わたしたちの間に通訳がいらない! 直接エルタマスと意志の疎通ができることは実に新鮮な喜びでした。会えなかった時間に彼女は内外ともに確実に成長していたことがよくわかります。エルタマスの今後の成長を楽しみにする一方、アフガン女性の成長につきまとう困難を思うと喜んでばかりもいられないという複雑な気持ちも抱きました。彼女の母親が「娘たちには自立させたい」と願う女性の一人であるのが救いですが、アフガニスタンの社会における女性問題は山積みです。長く続いた戦争のために19歳以下の子どもたちの約60%が無教育のままである中、その多くは女の子たちです。表沙汰にならない家庭内暴力(DV=ドメスティック・バイオレンス)も多いのですが、被害者である女性のシェルターなどもありません。事実、多くの女性が家庭内暴力(DV)というものが何かを知らないのが現状です。
わたしたちの現地カウンター・パートナーであり、エルタマスの学資を託しているNGOアシアナの代表ユーソフ氏からこんな話も聞きました。
……現在のアフガニスタンには世界各国からのNGOをはじめ、様々な組織が集まってきており、国際社会はアフガニスタンの女性に対する改革を最優先に考えて行動している。つまり、今まで働く機会や社会に参加する機会がなかった女性をこれらの分野に登場させることである。その一例として就職の問題がある。たとえばカブールでは新しい職のチャンスが男性よりも女性優先で考えられている。その結果として男性の失業率が高くなる。新しく働く機会を得た女性は、自分でお金を得ることができ、自分の力を発見し強くなり、男性をさげすむ事さえある。一方、職を失い家族を養うことができない男性は自分を見失い自信を失う。国際社会によってもたらされたこの新しい変化にアフガニスタンの男性、女性は今までとは違った経験に振り回され、対応できなくなり、問題を生じさせている…。 ここでユーソフ氏が憂慮しているのは「女性の社会進出によって家族関係が壊れていく」という現象です。自分でお金を稼ぐことで妻は自分の力を発見し、家族を支えているという自負と力を持っていた夫がその反対になる。妻は夫をさげすむかもしれないし、捨てることもできるかもしれない。このような新しい状況、様々な大人の社会の変化を子どもたちは見ていて、いままでの家族形態が変わってしまう。すなわち、それはアフガニスタンの社会形態にも及ぶだろうというのです。
アフガニスタンの女性については、わたしたちは当初から関心を持ち、コミットしなければという使命感のようなものを抱いてきました。とりわけ少女たちを取り巻く環境の差別的な構造は、ときに憤りさえ感じないではいられません。そのため、わたしたちの目線はつい女の子に向けられがちで、キャンプの長老たちから苦情を言われたこともありました。なぜ女の子にばかり同情するのか、と。とはいえ、わたしたちが主張したのは、男の子たち同様に女の子にも映像を見せてほしいというものだったのです。女の子を蚊帳の外に置く現場をいくつか経験する中、やはり全体的に弱者として差別されている女子の問題は、わたしたちの中でそう簡単に消えることがありません。そこで、わたしたちは折に触れてアフガニスタンの女性問題について話しを聞く機会を設けてきました。
今回のキャラバンでも、アフガンの女性たちと会談する機会を得ました。子どもたちや女性への教育啓蒙のための映画を制作している機関MSPA(Media Support Partnership Afghanistan)と接触し、「幼児結婚」をテーマにした短編映画を題材としてアフガニスタンの女性たちと意見を交換する場を設定してもらったのです。6月12日にMSPAの一室に一同が介しました。集まった女性たちはアフガン女性省の役人をはじめ、女性問題のために活動をしている女性や大学生と様々な顔ぶれです。互いに挨拶を交わし、映画をみることになりましたが、<幼児結婚>をテーマにした映画の英語版を紛失したということで、急遽、母親の予防接種をめぐる啓蒙映画に変更されました。
映画のあらすじはこうです。ある家族がいます。老いた母と息子2人、その長男の嫁の4人です。ある日、その家に医療関係のソシアルワーカーが訪れてワクチンの啓蒙をします。母親と生まれたばかりの赤ん坊には絶対に必要だと勧められ、嫁は受けたいのですが、義母は反対します。そんな予防接種は妊婦の身体によくないというのです。当然、夫も自分の母親の意見に同調して妻の意見を無視してしまいます。じきに赤ん坊が生まれるのですが、その赤ん坊が高熱を発して苦しみ始めます。義母と夫に病院へ行く許可を求める妻。けれども義母は断じて許しません。何事も母には逆らえない夫も反対したまま、しかし遂に子どもの命が風前の灯火となり、そこではじめて夫も病院へ行くことを決意する……。
すなわち、ワクチンを打たなかったために破傷風にかかった赤ん坊の生死が問われ、その無理解と無知を阻止するための教育ビデオでした。アフガニスタンでは出産による妊婦の死亡率と乳幼児の死亡率が世界でも抜きん出て高く、そういう母親の意識向上プログラムの一環として作られたそうです。その啓蒙の対象が無理解な家族ではなく、母親だとすれば、問題はその母親自身の判断で動いたときに家族=周囲がどう反応するかということです。そこで、わたしたちの素朴な質問。
「もし、この若い妻が義母と夫の反対にもかかわらず赤ん坊を病院へ連れて行ったらどうなるのか?」
それに対して、アフガニスタンの第一線で働いている女性たちはこう答えました。
「そんなことをしたら、大変。その妻は殺されても文句は言えない!」
現在でも、夫や姑の許可なしに病院へ行った場合、肉体的・精神的な暴力を受ける可能性があるというのです。それでは母親だけに啓蒙させても意味がなく、女性が苦痛を強いられることに変わりがありません。
「では、なぜ、老いた母親は妻の病院行きをあんなに頑に反対するのか?」
「それが、伝統だから」
「伝統だから、というだけでは済まされない、なにかがあるのでは? たとえば、女性は男性の医者にかかってはいけない、というような………?」
「それも大きな要因の一つかもしれない」
かつて、わたしたちはトライバルエリアにある村の病院で責任者からこんな話しを聞いたことがあります。彼らは切実に女医が必要だというのです。女性の身体をたとえ医者であろうと男性が触れることは許されない。しかし女医がいないので村の女性たちは診療を受けられない、と。それに対して、わたしたちはこう答えるしかできませんでした。
「この村に学校がありますか? そこでは女の子も勉強できますか?」
「もちろん。いまでは、わたしたちの学校でも女の子を受け入れています」
「それはよかった。では、あと15年か20年もすれば、その女の子どもの中から、女医が生まれるかもしれませんね。それまで、待つしかないのでは?」
わたしたちのその言葉に、病院の責任者ばかりでなく、同席していた村の長老たちの表情が一様に固くなったことを覚えています。
実際にアフガニスタンで女性を取り巻く環境に接してみると、そのあまりにも保守的な現状に唖然となることが多々あります。女の子の場合、一人で外出することは滅多になく、公園で親と一緒でない女の子が遊んでいる姿を見かけることもまれです。年頃になった女の子が医者に診てもらうこともほとんど許されていません。
わたしたちはそういう女の子のためのファンタジーを創って、女の子のためだけのキャラバンを実施したいとずっと考えてきました。しかしそれは思ったより困難だと思い知らされています。なによりも、そのファンタジーが長老や先生や親たちの眼鏡にかなうものでなければならないからです。たとえば女子特有の生理的な問題や、心の問題、夢など、どれ一つをとっても保守的な人々の視線を感じて、自己規制せざるを得ません。わたしたちに勇気がないのかもしれませんが、まず、長老や親=大人たちの取り決めに抗する何かを提供しなくては何も言えないのが現実なのです。そういう意味では靴の贈呈は女の子にもファンタジーを鑑賞させる役割をも果たしてくれていますが、もっと積極的に女の子に対して行くためには別のアイデアも考えなくてはなりません。

●アフガニスタンの市井の人々

キャラバンやイベントの準備の合間を縫って、わたしたちは市街を観て回ったり、郊外の行楽地にも足を延ばしてみました。カブール市街の建設は進んでおり、モダンなショ ッピング・モールや高級なホテルも既に完成されていました。そのため、昨今の不穏な情勢が嘘のようにカブール市街は以前に比べて数段の華やかさと安定を呈しているかのようです。市場の賑わいと喧噪も、そこで働く子どもたちの逞しさも相変わらずで、わたしたちとなんら変わらない市井の人びとの生活があることを実感させてくれます。
休日となる15日の金曜日には、カブール郊外の町、パグマン(Paghman)へ向かう道中にあるクワルガ・ダム(Qargha Dam)にも出向いてみました。多くの人々が暑気をしのぐために車で訪れる行楽地です。実際、そこには家族や友人と連れ立って、みなが思い思いに楽しそうに話したり、水遊びをしてはしゃいでいます。みな幸せそうでした。いえ、実際に彼らはそこで幸せな時間を過ごしていたのです。 日本では当たり前の行楽地の光景が、ここアフガニスタンで見ると、なぜ、こんなにも胸に響くのか……。それは、このような時間をようやく手に入れたアフガンの人々から再びそれが奪われないことを願う気持ちからか、幸せな時を得た彼らが再び悪い方向へ戻ることを選ぶはずがないと信じたい気持ちからでしょうか。
もちろん、このダムまで遊びに来れる人はアフガニスタンでも恵まれた人々の部類といえます。しかし、そういう息抜きや行楽が実現されていること自体が、いまのアフガニスタンという国の希望にもつながるのではないかと思わされるのです。好きな人と穏やかで楽しい時間を過ごしたい、それは実にシンプルな人間共通の願いです。四半世紀にも及ぶ内外の戦争で疲弊しきっているアフガン人こそ、いまそれを求めて止まないのではないか。そんな思いをフッとよぎらせる、そんなアフガニスタンの人々の、子どもたちの、歓声と笑顔がそこにはありました。

……いったい、楽しい日の思い出ほど、ことに子どもの時分、親の膝元で暮らした日の思い出ほど、その後の一生涯にとって尊く力強い、健全有益なものはありません。諸君は教育ということについていろいろ喧しい話を聞くでしょう。けれど、子どものときから保存されている、こうした美しく神聖な思い出こそ、何よりも一等よい教育なのであります。過去においてそういう追憶をたくさんあつめた者は、一生、救われるのです。もし、そういうものが一つでも私たちの心に残っておれば、その思い出はいつか私たちを救うでしょう。(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』米川正夫訳)

●「運がよい」ということ

6月17日に発生した自爆テロ事件の巻き添えとなり、子どもたちの幽霊の絵の原画は失 ったものの、メンバー全員の人命は救われました。この事件によって考えさせられたことの一つに「運」というものがあります。
事件の後、多くの人々から「あなたたちは運がよかった」と言われました。わたしたち自身もそう思います。自爆テロに至近距離で巻き込まれながら、死者が出なかったこと。これはまさに「運がよかった!」としか表現しようのない体験でした。しかし、この「運がよかった」「ツイていた」という言葉のニュアンスには微妙な厳しさがあることに今では気づかされます。つまり、この言葉には「あなたたちはこれくらいの傷で済まなかったのかもしれないのだ。この次は運がよかったでは済まないのだ」という暗黙の警告が含まれてもいるのです。事実、その後すぐに韓国人グループの拉致事件が起こり、「運がよ かった」と言い募る人々のニュアンスに更なるリアリティーが付加されることになります。
しかし、「運がよかった」というわたしたちの実感は、多少異なります。思えば、わたしたちは「運がよかった」を生きてきたのです。戦後62年間、戦争のない日本にいるという「幸運」。その豊かさを当然のこととしている「幸運」。その気さえあれば、何でも自由に享受できるという「幸運」。その「幸運」は偶然ではなく、誰もが疑うことなく、また不安に思うことなく享受しているのです。そういう「幸運」の中では、誰も「あなたたちは運がいい」とは言いません。そして、そういう「幸運」が脅かされたとき、人々は初めて「運がよかった」と口にするのです。
一方、ある国の人々は「運が悪い」を常態として生きています。戦争と内戦、飢餓、干ばつ、文明国の発展のために利用され虐げられる人々がいます。アフリカでは干ばつや飢餓に加えてエイズや結核が蔓延し、治療薬も与えられないまま、もしくは文明国の大手製薬会社の治験者(モルモット)として多くの人命が奪われています。東南アジアや南米の極貧民にも同じような現状があります。そしてアフガニスタンもその一つです。長い長いあいだ、内外の戦争に巻き込まれてきた人々、経済的な劣悪な環境を生きている人々、あるいはまた伝統的な差別構造によって不可触化されいる人々。自分の意志とは関係なく「悪運」に巻き込まれ、人間の権利を奪われていく人々……。彼らの常態は彼らの過失ではなく、ひらすら「運が悪かった」としか言いようのないものです。彼らの生も死も、ひとえに彼らの「運の悪さ」によります。そして、そういう「運が悪い」人たちの前で 「運がよい」ことを当然のことのように考え、言い募る人たちの中にわたしたちもまたいるのです。そのことに、やはり違和感を禁じ得ません。
事実、わたしたちは、当分のあいだアフガニスタンでの活動を控えなければならないと感じています。つまり、自分たちの「幸運」を守るために「運の悪い」人々から距離を保とうとしているのです。そして、そういう決断が「了」とされる国に安心して生活しようとしています。もし、わたしたちが今までのような活動をアフガニスタンで展開すれば、それは無謀な行為としていろいろな形での指弾を受けるでしょう。「幸運」を常態とする人々とって、「悪運」が常態となっている人々の苦しみは理解を超えるものに違いありません。そしてその苦しみを共有するためにあえて「運が悪い」情況を引き受けようとする者たちもまた、彼らの理解を超えたものとして指弾すべき対象となり得るでしょう。
そのことを危惧しつつも、引き続きアフガニスタンの「運の悪い」人々や子どもたちのために活動を続けて行かなければと思うのです。一日も早く十分な活動資金を得て、アフガンの子どもたちに夢を失わないでもいいということを示しに行きたいのです。それこそが、自分たちの「幸運」が本物かどうかを示すことにもつながっていくと信じて。
NGOアシアナの代表ユーソフ氏はこうも提唱しています。
……メディアで報道されていること以外のところに本当のアフガニスタンの姿がある。アフガニスタンも日本と同じアジア圏にあり、我々を近隣諸国の人間として眼を向けてほしい。宗教や政治、主義を考える前に我々アフガン人もあなた方と同じ人間です。皆さん自身の眼で、アフガンの子どもたちに何が必要かを考えてほしい、と。
自国のイデオロギーだけを押し付けるのではなく、入っていく国側(ここではアフガニスタン)の文化・宗教・歴史・伝統を考えて、初めて互いに具体的な行動を起こせるのだというのには異議はありません。これは国単位でのみならず、個人対個人でもあてはまる理です。しかし、それが人間の基本的な権利や自由を脅かす問題に及ぶのであれば、変化に伴う軋みは避けられないのではないでしょうか。その軋みを乗り越えて、平等や安定を迎えられるかどうか、それこそが、その国の人たちが真剣に取り組む課題です。壊さずに新しいものだけ、軋みなしに都合の良い結果だけを得ようするのは、わたしたちには無理な話しに聞こえました。
「友人になる("become friend")」「隣人になる("become neighbor")」、その気持ちや意志を言葉で伝え合うのは易しくても、実際に違う文化と歴史背景に生きる者同士が互いに寄り添い、融和し、新しい行動を起こすことは難しいものだと改めて痛感させられます。

●今後の活動について

いまや「アフガニスタン」といえば、タリバン、アルカイダ、拉致、などの報道によって「危険な国」「危険な人々」というイメージが定着しています。しかし言うまでもなく、アフガン人=タリバンではなく、イスラム教徒=テロリストではありません。アフガニスタンにはわたしたちと何ら変わらない、ごく普通の市民が生活しています。そして彼らもわたしたちと同じようにささやかな夢を持ち、平和を希求しています。長い紛争状態と破壊の日々の中で疲弊し、生きる気力と希望を奪われながらも、本当にたくさんの人々(子どもたち)が差し伸べられる手=わたしたちの助けを待っているのです。
実際に現場を訪れて、そのような市井の人々に触れてきたわたしたちの実感は「彼らはわたしたちをターゲットにしていない」ことを告げています。わたしたちが自爆テロに巻き込まれたにせよ、それはあくまでも偶然であって、ターゲットではありませんでした。
新聞や雑誌、テレビやインターネット、日本に生きるわたしたちにはたくさんの情報があるようで、実際の情報源は限られています。わたしたちの情報は圧倒的に日々配信されているメディアに頼らざるを得ません。そのメディアは危険、事故、殺害、などの部分を大きく取り上げます。報道する側はそれをニュース性といいます。しかし、事実は 「少しずつでも変化していく一般庶民の生活」によって成り立っているのです。平和に暮らすことを心から望んでいる人々の暮らしです。しかし、そのような部分はメディアに取り上げられることは滅多にありません。メディアにとっては、それが日本人に望まれるニュースではなく、同時に日本人に植え付けたいニュースでもないからです。
しかし、なぜ、悲劇や恐怖を伝えるニュースを人々が望むようになっているのか。「他人の不幸は密の味」の部分もあるでしょうが、何かもっと大きな力がそう思わせるように働きかけているのではないでしょうか。そんな危険なアフガニスタンの国ならば、当然アメリカが行なっている対テロ対策に加担しなくては、北朝鮮の攻撃を阻止するために防衛手段を変えなくては、云々。国民が独自に考える前に国民に根拠のない誤ったイメ ージを植え付けてしまえば体制や大企業側が動きやすいのは明白です。メディアはもはや、その仕組みをつくるために存在しているといっても過言ではないように思えます。
たとえば、ニュース番組などで日本では犯罪の発生率が高くなっていると強調する報道が多く見受けられますが、実際の犯罪件数は増えていません。法務省発行の『犯罪白書』のデータによると犯罪の検挙件数は50年代に比べて減少していますし、少年凶悪犯罪の発生率では戦後最も多かったのは昭和35年で8000件以上、いわゆる高度成長期時代にみられます。その後減少を続け、平成8年以降からやや増加したものの、この10年間で横ばいまたは減少傾向にあるといいます。しかし数件の残虐な事件をメディアが大袈裟に取り上げ騒ぎ立てることで、人々は「犯罪が増えた」と信じてしまうのです。ここに情報操作の恐ろしさがあります。報道される事件の背後にあるもの、見えない部分を観察したり想像したり考えたりすることが何よりも大切なのだと思います。そこを通らなくしては事件の悲劇を知ることも、渦中の人々の苦痛を分かち合うこと=共有することも叶わないのではないでしょうか。
たしかにアフガニスタンをめぐる諸情勢の悪化は否めません。しかし、その極点のみが報道される中、アフガンの人々が、その子どもたちが、再び世界から忘れ去られていきかねないことを強く危惧しています。アフガン人は「悪運」が常態になっている国に生きているにすぎません。アフガンの人々はわたしたちの敵ではありませんし、わたしたちもアフガンの人々の敵ではありません。少なくともLike Water Pressは彼らのターゲ ットではないと確信しています。それを証すためにも、わたしたちは、アフガンの人々の呼びかけに応えて、今後もアフガニスタンでの活動を続けて参ります。