●いま、なぜ、ニューヨークで展覧会を開催したのか?
「なぜ、いまニューヨークで展覧会を?」とよく聞かれますが、わたしたちにとっては「なぜいま?」ではなく、「ようやくいま」というのが実際の思いでした。 展覧会というのは思い立ったらすぐに実現できるわけには参りません。短くて半年、長い場合は1年以上の準備が必要です。とりわけわたしたちのように小さい団体で、コネも予算もない場合はなおさらです。
2005年1月に東京青山で開催した<カブールの幽霊>展以来、わたしたちはいつも、日本とアフガニスタン以外の国でも実現させたいという思いをもって動いて参りました。その第一候補として、9.11事件(米同時多発テロ)の当該地であり、その大きな犠牲を負ったニューヨークの人々に向けての展覧会を掲げており、そのために独自に働きかけて来た結果が、ようやく3年の月日を経て、現在の展覧会に辿り着いたというのが実状です。
そういう意味では、いまニューヨークで展覧会を実現できたのはただの偶然といえるかもしれませんが、様々な困難を経て実現させたという意味においては、やはりそれは必然の結果でした。

そして、ようやく開催できたニューヨークでの展覧会において感じるのは、やはり日本とは違う反応です。しかし同時に「人間の願うこと」「人間の感じること」は国境や人種を超えて同じであるという普遍性も改めて実感させられました。極端にいえば、中央アジアのアフガンの子供たちの苦境や悲苦の叫びや願いは、G7やG8などGサミットに加盟する国々、すなわち「先進国」と呼ばれる日本やアメリカ等で生きる人々の社会状況に置いては、まったく関係ない問題といえるでしょう。しかし同時に「共存する」という共通認識を示していく責任があるのも先進国であり、「他の国のことを無視できない」理由と現実を日常生活レベルで敏感に感じている人々が「先進国」にも実際には多く存在すると信じています。ゆえに<平和>や<子供>というテーマは、「日本人だから日本だけで」「アメリカ人だからアメリカだけで」というように国単位の中で考えないことが重要だと感じてきました。 またNPO=NGOの活動というのはもともと国籍や国境を超えてこそ意味あるべきものだと感じます。そして何より大切なのは、それらの活動をする者たちが信念を崩さずに、個々の損得=資本主義の在り方とは別に世界(各国)に対して何か伝えるものを持ち続けていなくてはいけないということです。
●ニューヨーカーの反応
さて、ニューヨークでの展示作品は全部で200点ほどですが、今回はスペースが狭いうえに照明設備もなく、アーティスティック的にあまりよい展示環境とはいえませんでした。それでも一点一点の絵や物語をじっくりと読んでいる来場者の方々の姿には印象深いものがありました。それは日本の展覧会でもよくみられた光景と重なります。
みなさん一律に新鮮で素晴らしい展覧会だと評価して下さいます。なかには「スペースがもっと広ければ良かったのにね」と言ってくださる方もいて、こちらの展示の意図がよく伝わっていることを示して下さいました。今回が外国での初めての試みですが、彼らの素直な反応にこちらの方が戸惑うほどでした。 更にニューヨークの在米日本人の方々も結構来場されて、それぞれ感慨深そうなご様子でした。
その一方で、思いがけない反応もありました。それは、「アメリカ人の現在の意識」に根ざしたもので、わたしたちの予測していなかったものでした。ある来場者の方がこう言ったのです、「アメリカ人はこの子どもたちに謝らなくてはいけないのでしょうね。」
そして、その言葉には、深い遺憾の気持ちがこもっていました。そして、さらに、こう続けるのです。「わたしたちは、いま、そのことを猛烈に反省させられています。わたしたちは、この子どもたちに対しても自分たちの責任を痛感しています。でも、見ていて下さい、わたしたちはブッシュに訣別して、オバマを新しい大統領に選びました。彼に子どもたちのこのような絵を二度と見ないですむ世界を、というわたしたちの思いを託したのです。これがいま、わたしたちの偽らざる気持ちです。」
そしてその人は、最後に、わたしたちに向かってこういったのです、「ごめんなさい。」
この言葉に、わたしたちはある種のショックを感じてしまいました。同時に、アメリカのメディアがこの展示会に対して冷淡で不反応な態度を示した理由がわかったような気がしました。確かにいま、アメリカの人々も自ら傷ついているのです。その気持ちがオバマ大統領を誕生させました。だから、それ以上、その傷に触れられたくないと思っているのでしょう。
わたしたちの<カブールの幽霊>展は、まさにそういうアメリカの傷を再認識させるものだったのです。
そういう意味では、今回の<カブールの幽霊>ニューヨーク展は、場所としてもタイミング的にも、あまり適切ではなかったのではないかと思わされました。
●現在及び今後のアフガニスタンについて
先日(11月半ば)、アフガニスタンで国際支援に従事していたアメリカ人の方々数人(おそらく国連の方だと思いますが未確認)が拉致されたという報道の他に、現地の二人の姉妹が学校に向かう途中で硫酸をかけられたというニュースが報じられました。このような社会は子供たちにとってあまりにも悲しい社会です。子供たちに対して残酷な社会には同情する余地はありません。ですから、私たちはアフガニスタンの将来に対して否定的な見方しかできません。
タリバンやアルカイダがどうとか、テロリストとの闘いがどうとか、部族紛争がどうとか、民主主義がどうとかを論ずる前にまず子供たちの声に耳を傾け、子供たちに眼差しを注いでもらいたい、というのが当法人の意図する目的であり、<カブールの幽霊>展を展開する意義と考えております。
アフガンの子供たちに描かれた「カブールの幽霊」の"幽霊"とは、そのような大人たちが子供たちに恐れを与え、子供たちをないがしろにしてきた事柄が子供たちの中で発酵したものに他ならないと思います。そして、その幽霊たちが跋扈するのはアフガニスタンに限らず、アフリカや中東や東南アジアといった紛争地をはじめ、発展途上国、さらには我々先進国においても同じであることに変わりはありません。
大統領選中もその後のメディアでもアフガニスタンについては、オバマ氏の提議する「米軍のイラクからの撤退とアフガニスタンへの増派、すなわちアフガニスタンにおけるテロとの戦いの主戦場」という情報以外、何も新たな意見はないようです。現場にいるスタッフは次のように述べています。
……バラク・オバマ氏支持のアメリカは、こう言ってはなんだが、あまり外国のことには関心がないように思えます。イラクのことにはさすがに反応するものの、アフガニスタンのことにはあまり反応がありません。たとえばタリバンのことにしても、その姿を具体的に思い描くことができる人は稀で、アフガニスタンがどうしてアメリカを嫌うのかについてほとんど想像することができないようです。もっとも、これは日本でも同じですが。そういう点では、オバマ氏指示のアメリカは少なくとも国際的には日和見主義になるような危惧を抱きます。
実際、ニューヨークの一般的な人々のアフガニスタンへの関心は薄く、オバマ氏が「イラクからアフガニスタンへ重心をシフトする」と言っても、それがどれくらい真剣に受け止められているかが不明です。
「………国際的には評判が悪いのだからアメリカはイラクの紛争問題から手を引くべきだ」とする意見が多勢です。ましてや「日本の自衛隊がインド洋で給油していることをどう思うか?」などという質問は、アメリカの一般市民にはまったく見当違いのもののようで、「そのことは我々にとっての<アフガン問題>とはまったく関係ないよ」というような顔をされてしまいます。そういった反応から、今回のオバマ氏支持の背景にはアメリカ人の自閉症的な志向が色濃く反映されているような気がするのです。
昨今のニューヨークタイムズにも、イラク関連の記事は出ていても、それはアメリカ兵の死者の数を問題としたものでしかありません。実際にはこうした傾向がこちらの世論の大成をなしています。つまり「今後はイラクではなくアフガニスタンだ」という考えも、本音はイラクから早く手を引きたい、引くべきだという以上の意味はないように思えます。そんな中で改めて実感させられるのは、アフガンにおける「日本のテロ特措法」に関して未だにアメリカの反応を気にする日本の国際感覚のなさこそが問題ではないかと、危惧します。
●先進国の成すこと、そして我々が成すこと
……オバマ氏に勝利をもたらした最大の要因は、現在のブッシュ政権への米国民のいらだちだ。強引なイラク戦争によって世界から孤立。金融危機により超大国の威信は地に落ちた。国内でも暮らしへの不安が高まった。 (2008年11月6日付/日本経済新聞/朝刊1面/ワシントン支局長・大石格)
大石氏が指摘しているように、次期大統領選の分岐点は9月の米証券大手リーマン・ブラザーズの破綻だったのは否めません。その中で公約に上げられた「アフガニスタンへの米軍増派」は事態を悪化させるだけで賢明な選択ではないと思います。その理由を、朝日新聞ジャーナリスト学校の部長を務めていらっしゃる長岡昇氏は、彼の発信する<つきじ「食と農」通信>の中で次のように述べてられています。

「‥‥‥時間はかかっても、アフガン国軍を増強して『国内の治安は自分たちの手で担う』という方向に向かわせ、外国の駐留軍は徐々に兵を引くしかない」と考えています。増派は、アフガン国内の治安をさらに悪化させ、パキスタンの連邦直轄部族地域での小競り合いを本格的な戦闘(事実上の対パキスタン戦争)に拡大させる恐れがある、と考えるからです。米国が部族地域での戦闘にこだわるのは、部族地域のワジリスタン地区にオサマ・ビンラディンが潜んでいるのに、パキスタン軍が本気でたたこうとしていない、と考えているからでしょう。実際、ビンラディンは2001年末にアフガンを追われた後、ずっとワジリスタンのあるパシュトゥン部族にかくまわれているとの見方が有力で、私もそう考えています。パキスタン軍が本気で捕まえようとしていないこともその通りでしょう。
しかし、「ならば力づくで」と拳を振り上げてみても、捕まる可能性は限りなくゼロに近いと、私は見ています。パキスタンの部族地域は、英国とロシアが覇権を争った19世紀まで遡る、実に複雑な事情を抱えています。ここに力で踏み込むのは、イスラム世界に「もう一つのパレスチナ」をつくることになりかねない、と心配しています。バラク氏が大統領選挙を通して掲げた政策の中で、もっとも懸念しているのがこの「アフガン増派」の選択肢です。」

オバマ氏のシカゴでの勝利演説全文の中に次のフレーズがあります。
……the true strength of our nation comes not from the might of our arms or the scale of our wealth, but from the enduring power of our ideals: democracy, liberty, opportunity and unyielding hope.
この国の真の力は、武力や富の巨大さではなく、われわれの理想が持つ不朽の力に由来する。 すなわち、民主主義と自由、機会の均等、不屈の希望が持つ力である。(長岡昇氏/訳)
米国、ひいては世界の窮状を救うために、バラク・オバマ氏が現れたのだとしたら、彼の唱える「民主主義と自由」、「機会の均等」、「不屈の希望」が持つ力が実際に示されなくてはならないはずです。
実際、アフガニスタンに限らず「会いに来てくれる」「助けに来てくれる」のを待っている子供たちは世界に数知れずいます。そして、ここ日本にも待っている子供たちがたくさんいるのです。アメリカやイギリス、日本や中国など、現在「先進国」を象徴する国々はそれら子供たちや底辺に生きる人々=弱者にどう対していくのか、それは、現代の先進国に生きる我々個々にとっても同じく大きな課題といえるでしょう。
まさしく、それを考える一つの手だてとして、我々は今こそ<カブールの幽霊>展を世界各国で実現させ、より多くの人々に子供たちの幽霊の言葉を発信しなければいけない、という思いを新たにしています。

NPO法人Like Water Press
代表 : 陳 富子


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