●[キャラバン]で訪れたとき
 その小学校は
 閉鎖されていました

その2カ月後、世界がまたしても戦争の影を落とすなか、わたしたちは再度アフガニスタンへ渡り、アグファ・ザーガンダ村へと向かいました。 村も、子どもたちも変わっていませんでした。
その35人の子どもたち全員の写真を収め、わたしたちは日本へ持ち帰ちかえりました。
帰国後、戦争反対の声もむなしく、3月20日に米軍がイラクの首都バグダットを空爆、その5日後の朝日新聞にはこんな記事が載りました。

………イラク戦争を機にアフガニスタン各地で反米攻撃が活発化している。タリバーンなどの大規模な集結も各地で伝えられ、米軍は激しい空爆で鎮圧を図っている。だが、ゲリラ的な攻撃やテロはまったくやむ気配はなく、1月から50件を超えた。1年半前に始めたアフガン戦争は米軍にとって成功しているのか、疑わしい状況になってきた。

米軍による武装勢力への掃討が行なわれているのは、まさしく、わたしたちが訪れたアグファ・ザーガンダ村周辺の山地でのことでした。

………地層が折り重なった断崖に、無数の黒い洞穴が口を開けている。パキスタン国境に近いカンダハル州アディガル山地。イラク戦争が現実味を増した今年1月、山塊に点在する洞穴群に武装勢力が集結を始め、米軍が掃討した。
洞穴群のすぐふもとにあるガグレイ村の農民アブドル・アジャンさん(35)によると、年明けから東方のパキスタン国境の町シンナライから、少人数の武装集団がオートバイで続々到着。近くの村々にも出没するようになった。
「彼らは夜間3人組でやってきて『ジハード(聖戦)に協力してくれ』と言った。その度にナン(パン)や肉を分けてやった。ジハードにはいつでも協力する」。10キロほど離れたフセインザイ村のムラダードさん(22)はそう語る。
パキスタンからカンダハルへ通じる裏街道ともいえるこのルートは、80年代のソ連侵攻当時、ゲリラ攻撃をしかけたムジャヒディン(聖戦士)がたどったのと同じ道だ。彼らもまたアディガル山地の洞穴を前線基地にした。……アディガル山地を望むパキスタン領チャマンは、密輸品を扱う店や倉庫が国境沿いにひしめく難民の町だ。パシュトゥン人なら、国境を越えて自由に往来できる。アフガン側で国境の警備に当たるオブイドゥラー司令官は「チャマンには、タリバーンが千人単位で堂々と生活しているが、米軍も手出しできない」と苦り切る。
2月下旬、この町で神学校の教師をしているという男性(28)に会った。タリバーンのアブドゥル・ラザク司令官の部隊に従軍し、アフガン北部タカール州の前線から、米軍爆撃の中をカブール、カンダハルを経て逃れてきた。
「ここでは自由だ。仲間もいる。オマール師が『イラク攻撃がはじまったらジハードを開始せよ』と指令を出したと、BBCラジオが流していた。いつでも準備はできている」。家にはカラシニコフ銃4丁をいまも隠したままだ。
イラク攻撃が始まった直後、アフガン国内の米軍基地3ケ所に向け10発以上のロケット弾が発射された。米軍や政府軍、国連機関などを狙った襲撃やテロは今年50件を超え、死傷者が出たケースは少なくとも17件あった。米軍への攻撃は30件近くで、司令部があるカブール北郊のバグラム基地や各地の陣地への攻撃はほとんど毎週起きている。
………アディガル山地の掃討作戦の半月後には、中部ヘルマンド州バグラン渓谷で100人規模の武装勢力の集結情報があり、米軍は数百人の兵士を投入。1週間あまりの空爆と捜索で12人を拘束したが、大半は逃げた。
対テロ戦争では、パキスタン側でアルカイダ幹部の逮捕が相次いでいる。だが、最近、タリバーンで拘束されているのは大量の無名の兵士で、最高指導者のオマール師を始め有力者は捕まっていない。米軍は「敵は小規模で散発的な攻撃しかできない」(キング報道官)というが、ゲリラ攻撃を食い止める方策がないことの裏返しでもある。
………パキスタンでアフガン問題を取材するネーション紙のシャミン・シャヒド記者は指摘する。「戦線は完全にゲリラ戦に移っている。武装勢力が村人に紛れ込み、村人も支援している点は、ベトナム戦争とも似ている。アフガンに侵攻したソ連軍も最初はほとんど全土を手中に収めたが、10年後に敗退した。戦争はそう簡単には終らない」

世論の関心がイラク戦争や北朝鮮問題に移行した現在、アフガニスタンで起こっている現実が報道されることはほとんどありません。しかし、そこではいまでも戦闘が行われているのです。

そして、わたしたちが、[絵本劇場キャラバン]として、3度目の訪問を果たした2003年8月、その小学校は閉鎖され、子どもたちの姿も、先生の姿も、ありませんでした。
いま、わたしたちには、35人の子どもたちの写真しか、残っていません。


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