夢みることを奪われたアフガンの子どもたちの祈りのメッセージ


カブールの幽霊 in 下町リレー展を終えて

2008年1月9日から開催いたしました、谷根千(谷中・根津・千駄木)地区でのリレー展「カブールの幽霊 in 東京下町 」を20日に無事終えました。
新聞上の掲載告知→をはじめ、ラジオやテレビなどの各メディアの協力も得て、7つの展覧会場には多くの来場者を迎え、さまざまなご感想とご評価を頂きました。いままでの展覧会では最も短期間ではありましたが、下町の散策を兼ねたリレー展示の着想も功を奏し、総体的に大きな成果を得れたと信じております。なかでも一番大きな成果は朝日新聞の「天声人語」→で展覧会のことが取りあげられたことです。開催期間は1月の半ばをはさんだ約10日間、折しも国会では対テロ作戦への給油活動の再開が問題になっておりました。その問題が考られる中で、「カブールの幽霊展」が一つの問題提起の素材として全国版の「天声人語」に取りあげられたことは実に感慨深いものがありました。
ここに改めて、皆様のご協力とご来場に心より感謝申し上げます。

そして現在、我々は次なる活動の下準備をしております。
予算的にも治安的にも未だアフガニスタンでの現地活動は不可能なため、引き続き「カブールの幽霊展」を展開していく予定でおります。ここしばらくはニューヨークでの開催の実現を目指し、様々な分野から展覧会の打診を計っていく所存です。
ニューヨークをはじめ、ヨーロッパ圏(EU)や他国、そしてもちろん日本国内においても、皆様の中で「カブールの幽霊展」が実現できそうな情報や提案をお持ちでしたら、どうぞお知恵を拝借下さいませ。 今後とも、我々の活動へのご関心とご支援を賜われますよう何卒よろしくお願い申し上げます。

NPO法人Like Water Press
代表:陳 富子


<撮りながら話そう>●藤原新也

カブールの幽霊はボクたちの中にも住んでいる


以前パキスタン戦争のときに難民キャンプを取材したことがある。あるキャンプの前で痩せた子供が雨上がりのぬかるんだ地面の泥をかき集め、それをこねて泥のダンゴを作って遊んでいた。
"遊んでいた"と私の目には映っていた。私はその光景が微笑ましく思え、写真を撮った。直後、ショッキングなことが起こった。三、四歳くらいのその男の子はこねた泥ダンゴをとつぜん口元に持って行き、食べはじめたのだ。私は写真を撮るのを止め、あわててそれを制し、口から泥を吐き出させた。キャンプでは感染力の強いコレラが蔓延し、死体の山ができ、犬がそれをひきずり出して食い荒らすという地獄を見るようなシーンが展開されていた。
子供にはのちに口を水で濯がせたが、この子が泥を食べていればコレラにかかって死ぬ可能性もあったと思う。取材を終え、カルカッタに帰った私は自分の着ていた洋服をぜんぶ脱いで燃やしたくらい、蔓延していたコレラには警戒していたのだ。
空腹のあまり食べ物への空想をふくらませようと、飢えた子供が泥ダンゴを作る、ということは誰にも想像できることだ。だがそれを食べるということは私たちの想像の中にはない。このように難民という言葉は誰でも知っているが、平和な日本にあっては、その難民の心のありさまを理解することはたいへん難しいことだと思う。

そんな苦い思いのある自分が、軽井沢の絵本の森美術館に立ち寄ったとき、そのショップで不思議な本を見た。題は「カブールの幽霊」とある。カブールとは9.11以降戦乱に巻き込まれているアフガニスタンの首都であり、私も昔訪れたことのある懐かしい地だ。黒い箱に入ったこの本は製本をしない単票紙がたくさん重ねられた作りで、それをめくるとカラフルな子供のような絵が目に飛び込んで来た。前書きを読むとそれはやはり子供の絵であることがわかったが、これがアフガニスタン難民の子供の絵と知って不思議な思いに包まれた。私も以前、イラン内のアフガニスタン難民キャンプを訪れたことがあるが、人々の服装といい、キャンプ内の様子といい、まったく色のない世界だったからだ。
それがこのように楽しく美しい色彩があの難民の子たちの中に眠っているというそのことに対し、また自分の想像力を修正しなければならないと、そんな思いに駆られたのだ。だがその絵の一枚一枚をめくってつぶさに眺めてみると、そこに描かれているものは、その色彩の楽しさとは裏腹にときに恐ろしく悲惨なシーンがあったりする。この矛盾は一体何だろう。

実はこれらの絵は難民の子たちの想像する幽霊の絵だったのだ。
この本を作った陳富子さんは書籍や映像を製作する編集プロダクションに所属していて、世界の遺跡や秘境を紹介するビデオを作っていた。そんな僻地で必ずと言っていいほど彼女は飢えた眼差しの子供たちに出会うことになる。だが遺跡などを撮る仕事をしている彼女にとって、子供たちは邪魔な存在でしかなかった。というより飢えた眼差しや悲惨さを見ないことに疑問を感じないようにしていた。だが「その子供を見ずに、わたしたちは一体なにをしているのだろう」という漠然とした疑問が心の中に沈殿して行き、本当に見るべきもの伝えるべきものは、子供の存在そのものではないか、と思うに至ったという。その後彼女はLike Water PressというNPO法人を立ち上げアフガニスタンに赴き、難民キャンプめぐりをし、子供たちと接触することになる。
これらの絵はその過程で、子供たちの手によって描かれた、子供たちの想像する幽霊の絵だったのだ。
この幽霊には単に私たちが日ごろ幽霊という意味を超えたものがあるように思える。アフガニスタンはここ四半世紀、大国の身勝手な介入によって混乱と戦乱の地となり、今現在もその戦乱が続いている。そういった途方もない政治的、軍事的ダメージが幽霊という形をとり、子供たちの心を支配している場面もおうおうにして見られるからだ。そしてこの本には子供たちの言葉も添えられている。

ボクが育ったのは、いい時代とはとても言えない。
ボクが生まれてからずっと戦争が続いているし、
ずっと爆音の音ばかり聞いてきたから。

次から次へと悲しみに見舞われてきた者は、悲しみになれてしまう。
むかしから言われているだろう。
「新しい不安や悲しみは、古い悲しみや不安を追い払ってしまう」って。

朝起きて何も食べるものがないと、ボクはうろたえてしまう。
庭へ出ると、ほこりっぽくて掃除しなくてはならない。でも掃除もできない。
だって、もし掃除をしたら、自分が汚れて石鹸が必要になるからだ。
その石鹸を買うお金もないのに。

ボクは戦場の中に住んでいた男を知っている。
いま彼は強烈に幽霊を信じている。
なぜって、ありとあらゆる死を、彼は見てしまったから……。

ボクはだれかに誘拐され、売り飛ばされるのが怖い。
いつかボクを誘拐しようとした女の人は、
とてもきれいなドレスを着ていて、ボクにチョコレートをくれた。

お父さんが死んだので、おじさんと暮らした。
そうしたら今度はおじさんが亡くなって、
ボクはほかのおじさんと暮らしたのに、
そのおじさんも亡くなってしまった。
ボクを守ってくれる人が、みんないなくなってしまった。

この国ではだれも歳をとらない。
だってみんな死んでいるんだもの。
いつまでつづくのだろう、こんなこと?
ボクの心は真っ赤な血でいっぱいだ。

たとえ100年ものあいだ住んだとしても、
もしそれが自分のもともとの場所でなければ、
やはり自分の本当の家に戻りたくなるでしょう。
鳥かごに入れてエサを与えても、
鳥は、それでも自由になりたがるでしょう。


絵というものは不思議だと思う。
悲惨な場面を言葉に置きかえても、それはそのまま悲惨にしか聞こえないが、それを絵にすると、そこに美意識が介在することにより何かしら救いが生じるのだ。それが人間の無意識の力ではないかと思う。そしてこれらの絵を描いた子供たちは描くことで自分の無意識を外に出し、それによってすべてとは言わないまでも、自分を開放したのだと思う。
苦しみや悲しみというものは自分の内に閉じ込めておくべきものではなく、かりにそれが自分にとって恥であったとしても、なんらかの表現(言葉、絵、音楽、など)によって外に出してやることが大切なことなのだ。
思うにこの時代、苦しみや悲しみを背負っているのは何もアフガニスタンの子供たちに限った話でもない。
アフガニスタンの子らとは逆に過剰な情報の海の中で自己を見失い、また腐敗しきったこの暮らしにくい社会の中で生きなければならない私たちもまた何かからの難民なのかもしれないという視点に立つなら、この子らの絵もまた私たちの心に共通な何かを響かせていると思うのだ。
[metro min. (メトロミニッツ)]/2007年11月20日号より転載