水的通信第3号


原因と結果の断絶

カブールの交通事情はすさまじい。一方通行の上、あちこちで道路が封鎖されているため、日中は渋滞があたりまえだ。そこにデモなどが起これば先にも後にも進めないまま一時間が過ぎる。信号というものはなく、ロータリーや十字路で警察がときどき交通整備をしているだけだ。だれもが我先にと先を急ぎ、割り込み、追い越しをする。始終クラクションが鳴りわたる。
歩行者たちも強者ぞろいだ。車の横スレスレを平気で通ったり、あわや車とぶつかるのではないかと思うような横断の仕方をする。少し待てば車は流れるのに、それを待てないがために車が一箇所に集中し、常時渋滞を引き起こしているような状態だ。
この交通事情にもみるように、アフガニスタンでは原因と結果が結びついていない場面によく出くわす。単にマナーが悪いという問題ではない。自分勝手なわけでもない。割り込みや追い越しをしたらどうなるか、そのことを想像する力が彼らには欠如しているのだ。




靴の贈呈でもそうだ。どのキャンプ、どの学校でも、我先に靴をもらおうとして混乱が生じた。大人たちが出てくると事態はいっそうややこしくなる。プレチャルキの国内難民キャンプでの贈呈がその最たるものだ。
自分の子どもを先にさせようと勝手に子どもをテントの中に入れたり、テントのやぶけた穴から子どもを入れて靴を取ってくるように言いつけたりする父親もいる。先生でさえ贔屓にしている子どもを優先させたりするのだ。実際に靴をかすめる子どもが続出し、収拾がつかない。あまりの無秩序ぶりに仲間の一人が大人たちを叱ると、一人の男性が「殺してやる!」と息巻きだした。彼の行動を抑える気配はどこにもない。ここには統率する者の存在がないと聞いたばかりのことだ。このままでは危険だと判断し、残りの靴を校長先生に託して退散することにした。本来200足の贈呈だったが、余分に持ってきた靴と合わせて300足以上の靴を置いていかなければならなかった。到底、靴を運び出せるような雰囲気ではなかったからだ。その前日、穏やかに微笑んで映像をみつめていた人々の、そのあまりの変わりように愕然とする。
きちんと子どもたちを一人ひとり並ばせれば、すべての子どもに靴はゆきわたるはずだ。それを我先にもらおうとするから奪い合いになってしまう。並ばないことによってどんな結果を引き出すか、そのことに考えがおよばないのだ。これもまた原因と結果がみえないことの証だろう。こちらの呼びかけに耳をかさず、靴を手にすることしか念頭にない大人たちの姿をみて、そのことをつくづく認識させられた。

原因と結果が結びついていないという点では、日本の場合も同じかもしれない。帰国して最初に耳にしたニュースは十六歳の少女による母親毒殺未遂事件だった。これが本当に少女の仕業だとしたら、それは少女に想像力と実感が欠けていたことを意味する。毒物犯罪は「弱者の犯罪」「実感の薄い犯罪」ともされ、人を殺す実感が比較的少ないという。人体に毒を盛ればどうなるかという観察はできても、人が死ぬことや、人を殺すことがどんなことかは考えなかったのだろうか。耐震強度偽造問題にしても同じだ。目先の利益や損得ばかりを考え、地震による被害には無頓着だった。幼児の虐待にしても、子どもの痛みや恐怖はまったく無視されている。どんな暴力を加えても子どもはまるで死なないかのようだ。
どの事件も、「人が死ぬかもしれない」「人を殺してしまうかもしれない」という恐怖や不安、すなわち想像力と実感が決定的に欠けている。加害者たちには自分以外の人間がみえていないのだ。自己の負の欲望によってだけ突き動かされた結果だ。
あらゆるものが足りなさすぎるアフガニスタン、その一方であらゆるものが足りすぎる日本。この両極にある二つの国に共通しているのが、想像力の貧困と欠如であることを実感する。いや、二つの国だけではない。想像力の枯渇は世界的に蔓延している。
世界の至るところで原因と結果が結びつかない現実(悲劇)が起こっている。「戦争」というのは、原因と結果を結びつける想像力の欠如の、最たるものではないだろうか。


子どもたちの未来図

キャンプで暮らす帰還者には二つのパターンがある。一つは外からの支援をただひたすら待って、そこから出る意志のない人。もう一つは他に行く場所がなく、やむなく暮らしているが、そこから出る意志のある人だ。
キャンプに設置されているテントやトイレ、学校などは、ユニセフ(UNICEF)および国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)をはじめ、さまざまな支援団体によって支援されているのは明らかだが、いままでの経験上、キャンプの人々が支援先を具体的に明かしてくれたためしがない。新しい次なる援助を常に求めているからだ。ゆえに彼らは Like Water Press の名前も明かすことはないだろう、ともいわれた。彼らにとって支援はあたりまえのものになっているため、感謝の念が皆無だというのだ。
たしかに、Like Water Press が彼らによって語られることも、彼らから感謝されることもないかもしれない。しかし、それがなんだというのだ。わたしたちが気にかけるのはただ一つ、そこに生きる子どもたちのことだけだ。

カルガイ国内難民キャンプも例外ではない。このキャンプでは生活に必要な物資はNGOによって支給されていたが、援助期間が終わったのであろう、今年に入ってからさまざまな援助が打ち切られていた。その焦りからか、キャンプのリーダー(責任者)たちが、わたしたちにこう切り出してきた。
「大人たち(自分たち)にもなにか持ってこなければ、今後、許可なしにキャンプへの立ち入りを禁止する」。
食糧、衣服、靴、なんでもいいから物資を与えろというのだ。なにかを始めるには、最初はなんらかの支援が必須だ。しかし外からの支援物資をずっとアテにするわけにはいかない。待つだけではなく、自らが動かなければ事態はなにも変わらないからだ。恵まれない状況を強いられることと、恵まれない状況を選ぶこととはちがう。大人たちがなにも考えない状況、無気力と怠惰が許される状況がここにはある。そんな状況のなかに子どもたちが暮らしていることを思うと暗澹たる気持ちだ。




一方、映画の撮影地のロケハンをするためにデ・サバスへ向かったときのことだ。いつもとちがう道を行くなか、荒野のただ中に区画地をみる。来年春に実施される国内難民の移住地の一つだ。細かく区画されたブロックが並び、その間には排水路用だろうか、細長い窪みがみえた。
来年春から開始される国内難民の移住計画は、カブール市街の整備・美化を目指す政府の思惑も働いている。現在、カルガイやダルラマンなどのように国内難民にあてがわれている居住地は元軍事施設をはじめ、ほとんどが半壊したビルだ。政府としてはそのような戦争で残骸化した建造物や仮設テントを取り壊したいため、国内難民たちに土地と家屋建材(屋根、壁、ドアなど)を与えて他所へ移住させることにした。政府の暫定政策の一つだ。
ただし家を与えられるわけではないので、自分たちで家を建てなければならない。エルタマスの家族のように男手のない家庭はどするのだろうか。なかには与えられた土地や家屋建材を転売する者も出てくるのではないか。
区画地をもう少しよく見てみようと、車から降りてみた。遠くにレンガ工場が見えるほかはなにもない。政府にとっても利用価値のない土地なのだろう。ここは本当に整備されていくのだろうか?
  コミュニティーをつくる上で政府が最低限供給すべきものは、まず水だろう。個々の家庭で使用できる水だ。次に必要なのは病院と学校だ。政府は区画地に井戸を掘って水を確保させるという話しだが、学校や病院はどうするのか? はじめに病院や学校を整えるという発想はあるのだろうか?

二〇〇一年の空爆以降、各国からアフガニスタンに流れてきた莫大な義援金はなにに使われてきたのか、と思わずにはいられない。カブールを訪れる度に新しいビルが建てられ、街は少しずつきれいになっていくが、それは外見のみだ。
子どもの未来などまったく考慮されていないような区画地の一つを与えられて、「こうして土地をもらえただけでもありがたい」と人々は思うのだろうか。さらなる怒りと不信の種を与えるだけではないのか。しかし多くの人はいうだろう、「そこからはじめていくのだ」と。
けれど、土埃が吹きつける荒れ果てた土地に立ったわたしたちには、そこで生活していく子どもたちの未来図をなに一つ描けなかった。

かたや、山の斜面に立つ町を思い出す。カブール市街は小高い山に囲まれ、その斜面に密集して家が建つが、その一つのアスマイ山の町を訪れたときのことだ。急斜面に建てられた家に人々が生活するが、そのなかには四〇年近く前から住んでいる人もいる。町で出会った二十歳の青年はここで生まれ、ここで育ち、外の世界はほとんど知らないという。
市街であるにもかかわらず、ここは米軍の空爆も免れた。というよりも空爆する価値もない場所とみなされた、いわば見放された場所といえるかもしれない。路ともいえない路には汚水が流れ、ゴミや排泄物が棄てられていた。あたりにひどい悪臭がただよう。排水設備などというものはないのだ。
子どもたちは口々に"One dollar, One dollar"と唱えていた。たとえ「ここがわたしの家です」といえても、その貧困と悲惨さは国内難民キャンプと変わらないのではないか。定住地であるぶん、より悲惨かもしれない。生活の改善などありようがない、と思わさせられるような凄惨で痛ましい場所だ。子どもたちの未来が見えない光景が、ここにもあった。


遊び友だち

「カブールの幽霊」展の評価は予想以上のものとなった。来場者の多くが、このような演出、このような絵を想像していなかったという。子どもたちの絵にあるユーモアと想像力に驚くと同時に、その逞しさにも心を打たれていたようだ。これら子どもたちの幽霊にはさまざまなタイプがある。遊び友だちのような幽霊たち、いじめっ子のような幽霊たち、怖ろしい生き物としての幽霊たち、子どもを傷つける幽霊たちなどだ。なかでも遊び友だちのような幽霊は、子どもたちにとって最も身近な存在といえるだろう。

カルガイ国内難民キャンプの子どもたちを展覧会場に招待したときのことだ。子どもたちはすっかりわたしたちに慣れてしまい、会うたびに甘えやわがままが出てきている。



「ブヂャ、ブヂャ」「キヨ、キヨ」「フジ、フジ」とそれぞれの名前を呼んでは、わたしたちの服を引っぱったり、腰に抱きついたり、肩をくんだり、いっかな離れようとしない。そのためビデオカメラや写真が撮れないありさまだ。厳しい眼差しをして叱ってみても、まったく動じない。子どもたちの聞き分けのなさにカッとなって大声をはりあげたり、地団駄を踏んだりしてしまう始末だ。 しかし考えてみれば、子どもたちがやたら触れたり抱きついたりしてくるのも、母親や父親をはじめ、身近な大人たちにはできないことをわたしたちに求めているからではないか。甘えやわがままを素直に出せる相手がたまたまわたしたちなのだ。いつのまにか、わたしたちは、この子どもたちにとって身近な存在になっているのかもしれない。
子どもたちの聞き分けのなさに辟易もしたが、その反面、大人のいうことを素直に聞く統制された子どもたちでなくてよかったとも思う。聞き分けのなさや悪ふざけもすべて子どもたるゆえんだ。なかには展覧会場でボール遊びをはじめたり、歌をうたってとせがんだり、しまいには取っ組み合いのケンカまではじめる子もいて、「ここは遊び場じゃないの!」と厳しく制するが、そこでハタと思った。この子どもたちは、正真正銘、ここに遊びに来ているのだ。
彼らにとってLike Water Pressといえば、遊ぶことと同義語のようなものだ。陳富子という人間も、彼らにとっては Like water Press の代表などではなく、単なる遊び友だちの一人でしかない。遠くからたまに遊びにやって来る友だち。そして彼らはその友だちをいつも待っているのだ。そう、彼らにとって、わたしたちは「遊び友だちのような幽霊」であるのかもしれない。だとしたら、わたしたちは子どもたちを信じて、もっと真剣に一緒に遊びたいと思う。あの子どもたちの真摯さは、わたしたちの真摯さ。あの子どもたちは、わたしたちの過去と未来でもあるのだ。


「責任」という言葉

キャラバン中、なにかにつけ聞かされたのは「責任」という言葉だ。人は簡単に「責任」という言葉を使うが、「責任」とは一体なにを指すのだろう?

今回、バーミヤンへの旅を断念することになった背景にも、この責任がかかわってくる。エルタマスに新しい体験をさせるのが旅の目的の一つだったのは日誌にも述べたとおりだが、事はそう簡単に運ばなかった。まずエルタマスへの待遇を快く思わないキャンプの人たちの圧力を受けて、エルタマスの母親がバーミヤン行きをしぶりだしたのだ。
「勇気をもって彼女を行かせるべきだ」というわたしたちの説得によって母親は納得したが、次はアシアナのユーソフ氏がエルタマスの同行に難色を示した。
バーミヤンまでの道中が危険なため、万一のときに「責任」が取れないというのだ。しかし、万一のときに「責任」を取るのが責任者ではないだろうか。
また危険を理由にするのならば、わたしたちの危険性も同じであり、バーミヤン行きそのものを断念すべきではないか。これらの理由から、バーミヤン行きを断念したのだが、ユーソフ氏をはじめ、まわりの大人たちは、エルタマスを最優先に考えた、わたしたちのその決断が不可解な様子だった。
バーミヤンへ行く機会をまた得られるならば、もちろんエルタマスを同行させるつもりだ。今度はわたしたちの「責任」で。

一方、カルガイ国内難民キャンプで、「物資を持ってこなければ、今後の出入りを禁止する」といわれたときにも「責任」という言葉がでてきた。わたしたちは許可を必要とも考えずに自由に出入りしていたが、それはキャンプの人々とそれだけ親しい関係性を気づいてきたと信じていたからだ。
過去三回のキャラバンではカルガイ・キャンプを欠かさず訪れて、ファンタジー劇場キャラバン、靴の贈呈、ドキュメンタリー映像のナイト・ショー、劇場上映や展覧会への招待などを行ってきたのだ。しかも、ここはエルタマスと出会ったキャンプでもある。 実際、キャンプの子どもたちはわたしたちをよろこんで迎えてくれたし、わたしたちに協力もしてくれた。その子どもたちの喜びようを大人たちもそばでずっと見てきたのではなかったか?
  「なぜ、あなたたちにそんなことをいう権利があるのですか?」とリーダーたちに問うと、「このキャンプで起こるすべてのことに責任があるからだ」という。
この場合の「責任」がなんであるかは不明だが、結局、わたしたちはキャンプに自由に出入りすることができなくなってしまった。 たとえ子どもたちに歓迎されても、物資を携えない、大人たちにとっては利用価値のないわたしたちはキャンプから追い出されたようなものだ。
子どもたちのたのしみやよろこびはそんなに意味のないことなのだろうか?
物資を優先することで、子どもたちの未来を塞いでいるとは考えないのだろうか?
「責任」ある大人たちから顧みられない子どもたち。カルガイの子どもたちは、彼らの大人たちにさえ見捨てられつつあるかのようだ。わたしたちの顔をみれば、名前を呼んで一目散にかけよってきた子どもたち、あの子どもたちとの親しい関係が「責任」という言葉のもとに寸時に断たれてしまった。
その「責任」とは一体なにを指すのか?




そのカルガイも、そしてダルラマンも、避難民キャンプに暮らす人々は来年春に移転させられる予定だが、どこに移されるのか定かではないし、そこに学校や病院が建てられるのかも定かではない。そういう曖昧な、責任の所在のない計画に推し進められ、定かでない場所に移住させられる子どもたちの未来に対する「責任」は、いったいだれにあるのか?
そういえば、この国では「なぜ」と聞いてはいけない、といわれたことがある。「そういうものだから」だそうだ。子どもたちも「なぜ」と問うことを戒められているという。しかしそれこそ、なぜだろう?
子どもたちの「なぜ」が封じられていく社会に未来はありえない。いつか、この国の子どもたちのなかから、わたしたちの疑問にもきちんと答てくれる大人が育ってほしい。
畢竟、それは「責任」をもつ大人を意味する。


100万人の中の1人

カルガイ国内難民キャンプの人々の不安や不満は、エルタマスへの支援にも影を落とした。先の話しにもあるように、母親自身はエルタマスをわたしたちと共にバーミヤンに行かせたいと望んでいたが、キャンプの人々による干渉や圧力によって怖じ気づいてしまった。しかし、キャンプの大人たちの思惑どおりに事を運ばせてしまうと、エルタマスはなにも新しい体験をすることができない。「エルタマス基金」の目的は、子どもたちに新しい体験を与えて、そこからなにかを感じ、考えさせることにある。ただ学校に行かせることが目的ではない。



母親やエルタマスにとっては厳しい状況だが、ここは母親にもふんばってほしかった。そこで、本当にエルタマスに新しい体験をさせたいならば、エルタマスの能力と才能を信じるならば、わたしたちと行動を共にすることがエルタマスの未来にとってよいことと信じるならば、エルタマスをバーミヤンに行かせてほしいと訴えた。わたしたちの真剣さを受けとめた母親はエルタマスのバーミヤン行きに同意し、こう言った。
「わたしはあなたたちを信じます。あの娘(こ)の未来になにが起こるか、一緒にみてみましょう!」
その言葉に、母親としての彼女の勇気と強さに、救われる思いだった。氷山の一角ではあるが、巨岩を一ミリだけでも動かせたような、怠惰と無気力と絶望に塗りかためられた堅固な壁に風穴をあけられたような、そんな手応えを感じたからだ。
もう一つ恐れていたのは、一連の出来事に対するエルタマスの反応だった。大人たちの都合で彼女が自由な選択をできなければ、彼女のなかで芽生えはじめた希望と意欲が封じ込められてしまうのではないか、という懸念だ。このままではエルタマスの置かれている状況はわたしたちと出会う前となんら変わらない。「結局、なんにも変わらないんだ……」と思わせるのだけは、どうしても避けたかった。

結局、バーミヤンへの旅は流れてしまったが、その数日後、エルタマスが映画の撮影に同行したいといってきた。どうやら、エルタマスはカメラに興味を示しはじめているようだ。しかし撮影初日は夜明け前の出発のため、前夜からわたしたちの宿に泊まらなければならない。エルタマスを拾うためにカルガイ・キャンプへ行く時間がないからだ。そのことを母親とエルタマスに告げると、「日中は問題ないが、夜の外出はキャンプの人たちの監視の眼がうるさいので、エルタマスを外泊させるのは難しい」という。しかも肝心のエルタマスさえ「家族と離れるのは初めてのことで心細い」とためらいはじめた。
「これはあなたが撮影に同行したいかどうかの問題。わたしたちがお願いするものではありません。本当に同行したいならば、ここで泊まりなさい。それができなければ撮影をあきらめなさい」とエルタマスに伝えたところ、その答えは「やはり家に帰る」というものだった。彼女の選択だ。それ以上、わたしたちもエルタマスを引きとめなかった。
しかし撮影二日目の早朝、エルタマスの母親がエルタマスを連れてやってきた。わたしたちが撮影に出発する直前のことだ。「やはり撮影に連れて行ってほしい」という。エルタマスと母親が考えた上で出した結果だろう、彼らがなにかを変えようとしたことがうれしかった。もちろん、エルタマスを撮影に同行させたのはいうまでもない。

意識を変えるというのは生易しいことではない。それまで積み重ねてきた思考回路のパターンを変えるのは至難の業だ。だからこそ「エルタマス基金」の子どもとその家族は、自分のいる世界/社会から外へ向かう一歩、その一歩を踏み出せる人でなければならない。100万人の子どもを学校に行かせるのではなく、100万人のうちの1人の子どもをしっかり育てることにわたしたちは意義をみいだしているからだ。
ゆえに「エルタマス基金」は支援する側にもされる側にも、等しくそれぞれの試練/課題を与えることになる。双方ともに考え、決断しなければならない。


欣喜と雀躍

「欣喜雀躍」とは小躍りしてよろこぶことをいう。
わたしたちは、子どもたちの欣喜雀躍した姿からどんなに勇気をもらってきたことだろう。

それは、マザリシャリフでの靴の贈呈のときだった。
子どもたちのなかに人一倍うれしそうにニコニコしている一人の幼い少年がいた。いよいよ靴を受け取るとき、少年は手をたたいて跳ね上がったのだ。歓喜に頬を染めて。そのとき「欣喜雀躍」という言葉が浮かんだ。小躍りしてよろこぶさまとはまさにこのことをいうのだ、と。
あの歓喜に満ちた顔、キラキラした瞳。それによって、あと何年も、何十年も生かされる、そんな力をもつ少年の欣喜雀躍だった。いまも、あの少年の姿を思い浮かべると、自ずと笑みがこぼれ、胸の奥に温かいエキスが満ちる。
人をやさしくするのは、だれかを真によろこばせたという、そのよろこびなのかもしれない。

そして、あの劇場での上映会。上映会初日、子どもたちはバスに乗ってやってきた。バスはキャンプや学校からの移動のためにわたしたちが貸りたものだ。子どもたちはみな一張羅を着て、目一杯めかしこんできた。そこにはキャンプで出会った、たくさんのなつかしい顔があり、その口から「ありがとう」の言葉が飛びかってくる。
この子どもたちが映画館を訪れるのは生まれてはじめての体験だ。どうやって座るかわからないためシートを倒さずに座る子や、初めての座り心地を楽しむようにシートを揺らす子、ピクニック気分でお菓子を持参してくる子や、高い天井を一心に見つめる子など、そのはしゃぎようと華やぎように子どもたちの興奮とよろこびがヒシヒシと伝わってきた。わたしたちと目が合うたびにニッコリ笑って手をふってくる。
この子どもたちとは今度いつ会えるかわからない。来春からはじまる移住計画の前にこうして子どもたちを招待できたこと、それぞれのキャンプで上映した映像をここで、みんなで見ることができたことがうれしい。スクリーンが設置されたステージの上から、そのうれしそうな子どもたちの姿を眺めていると、不意によろこびと切なさが胸に込み上げてきた。




また「子ども週間」を終えた数日後のことだ。道を歩いていると、車の窓ふきをしていた数人の少女たちがわたしたちを見つけてかけよってきた。
「シネマ、シネマ!」「見たよ、見たよ!」「ありがとう!」といって、わたしたちがバザール(市場)で配った劇場上映のチラシを見せてくれる。上映が終わったあともチラシを大切に持ち歩いてくれているのだ。
そのよろこびを伝える満面の笑顔、懸命に語りかけてくる高揚した息づかい、握手を求める荒れた小さな手、寄り添う身体の温かさ、少女たちのみせるよろこびのすべてが美しく生き生きとして、一瞬のうちにすべての嘆きや徒労を帳消しにしてくれるかのようだ。

あのときも、このときも、子どもたちの輝きに欣喜雀躍としていたのは、むしろ、わたしたちであったのかもしれない。子どもたちの輝きを前に「無駄なこと」は何一つないことを知る。あの輝きをみてしまったわたしたちは、ただ先へと進むしかないのだ。


焼け石に水

子どもたちから力とよろこびを得る一方で、活動のなかでは常に厳しい現実がついてまわる。
たとえば、二回目の劇場上映のことだ。午前九時に会場に着いたとき、二人の少年が座ってわたしたちを待っていた。前日に配ったチラシをみてやってきたストリートチルドレンだ。会場の入口ではブルカ姿の母親が座って待っている。おそらく少年たちの送迎のためだろう。
10時15分前に開場したとき、少年たちは一番のりで座席についたが、いよいよ上映がはじまる間際になって母親に呼びだされた。思わずその後を追いかけると、少年たちは彼らのボスらしき男性と一緒に出入口の門に向かっているではないか。通訳を連れずにとっさに追いかけたため、身振り手振りで少年たちに映画を見せてほしいと頼んでみた。
男性と母親はなにかを説明しているが、言葉がわからない。どうやら仕事をはじめる時間のため、働き手の少年たちを市場へ戻さなければいけないらしい。それ以上引き留めることもできず、ただ少年たちを見送るしかなかった。「さよなら」をいうときの少年たちの物悲しげな顔が忘れられない。
その後ろ姿を見送りながら思った、彼らこそ、彼らにこそ、わたしたちのファンタジーを見せてあげたいと。彼らのような子どもたちが、わたしたちのファンタジー劇場キャラバンの原点なのだ。しかしそれが叶わない少年たちの現実とわたしたちの現実。そして、それを叶えさせてくれないアフガニスタンの現実があった。いつか、あの子たちがわたしたちのファンタジーを見ることができる日を信じたい。

また、ワイセラバードでのことだ。「子どもと女性のための教育基金」というNGOによって運営される学校でファンタジーの上映をしようとしたとき、その地域の一人の男性が異議を唱えにやってきた。
「子どもたちにこんなものを見せる必要はない」という。NGOの女性と地域のリーダーによって男性の抗議ははねつけられたが、もちろん、男性は自分の娘を上映には来させなかった。ところが、その後の靴の贈呈には娘を来させたのだ。
靴はファンタジーを見た子どもたちに贈られるのが原則だ。そのため靴を渡すことができないのだと告げると、その娘は半ベソをかきながら去って行った。こんなとき、いつも思わされる。わたしたちは、どうしようもなく、たった一滴の水なのだ、と。
プレチャルキでの靴の贈呈のときも、バザールでチラシを配っていたときも、同じように思ったものだ。「わたしたちは、たった一滴の水でしかない」と。そのたびに言いようのない気持ちに襲われた。それは悲しみでもなければ、絶望でもない。手のひらから砂がこぼれ落ちていくような、永遠につづく真っ暗闇な穴ぼこをみつめているような、そんな気の遠くなるような思いだ。
なかでも心がかき乱されるのは子どもたちの態度や反応だ。「幼さは感情を濾過する」といわれるが、それに比例するように幼い者は現実を体現する。子どもたちのなかに、アフガニスタンという国が現在まで引きずってきてしまった暗く重たい現実を垣間見るような気がするのだ。




ふと考えるときがある、「Like Water Pressとはなんだろう?」と。実際、「名前の由来はなにか?」と問われることがよくある。 水面に波紋をつくる一滴の水でありたい、ナイーブで無垢な罪のない未来のための水でありたい、水の如く流れつづけ変わり得る存在でありたい……。
Like Water Press の存在意義はさまざまだが、そのどれにでもなり得るといえるし、そのどれでもないともいえる。「あなたはどう考えますか?」と問うたときに返ってくる答え、すなわち、それぞれの人が自由に発想するものとしてあり得ればいいのだ。 しかしやはり、わたしたちは、ほんとうに、たった一滴の水だ。
焼け石に落ちた一滴の水。熱く乾ききった石に水をかけると、その水は蒸発して消えてしまう。それはたしかに無駄なもののようだ。しかし蒸発した水蒸気はいずれ水となって大地にもどってくる。だから、わたしたちは焼け石の水でも、大海の一滴でもいい。焼け石に落ちたたくさんの滴(しずく)はいつしか豊饒な大地を育む水となるのだ。
きっと、わたしたちも、「焼け石に水」では終わらないだろう。